051.税金納付旅の1日の行程は30km
運搬する日数に応じた日当を支払うとして、納税品を地元から都まで運搬する所要日数を算出する必要があります。そのため、全国各地から都までの距離と、1日に進むべき距離を明確にしなければなりません。
中央政府がある京から各地方の都までの距離は、その遠近によって近国、中国、遠国と分けられています。
例えば、信濃の国を例にとると、信濃の国は「中国」とされ、
・京から信濃までは560里、
・荷馬1頭に背負わせる絹は70疋(布の大きさは1尺9寸×84メートル)で、
・所要日数は荷を積んだ上りは21日、
・荷を下ろした空身の帰りは10日
で運搬すると決められています。
この日数を基準として補助金(諸国運漕雑物功賃:図5-1)を算出しているのです(⑤『延喜式、中』(虎尾俊哉、訳注日本史料、集英社))。
これはまさに、現代で言えば旅費規定、物流規程です。
(『延喜式、中』(虎尾俊哉、訳注日本史料、集英社))
当時は、そのために七道と呼ばれた東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道が整備されており(図5-2)、30里(当時の1里は540メートル=約16km)ごとに駅が設けられ、荷物の運搬用に、各駅には伝馬の用意もされていました。
往来も少ないこの時代に、街道がなぜそんなに整備されていたのかと、最初は不思議でしたが、税をしっかりと徴収するためには搬送用の街道を整備することが必要だと知って、なるほどと納得しました。
したがって、駅伝馬の使い方などもしっかりと決められていたわけです。
たとえば、京から信濃へ行くには東山道が利用されました。京―近江―美濃―中津川―塩尻と経由して、国府(国司がおかれていた町)であった松本/上田に至る道で、距離は560里とされています。キロメートルに換算すると約302.4kmです。
現在のJRの路線図で見ると、京都―松本間が335.7kmになっています。東山道は、ほぼこれに沿っていますので、誤差は10パーセントほどで、なかなかの精度と言っていいかもしれません。
日数として、上り下りの準備に何日か費やすとして、荷を積んで平安京への上りは、積み荷の準備や宿場ごとの積み替え(伝馬の積み荷は駅ごとに積み替えねばならなかった)などを勘案して、21日、空身の帰り道は10日と設定されています。
一日に歩く距離は、日数で計算すると、荷駄を運ぶ上りは1日15~16km、帰りは身軽で30kmを基準とされたようです。当時の人たちはかなり健脚だったと考えられます。
輸送費は、荷駄1頭あたり66束とされています。
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