『温故一九四二』『人間の条件1942』
中国で飢餓を救った日本軍の物語
「温故一九四二」劉震雲著 竹内実監修 劉燕子訳 、四六判 上製本、226p、中国書店 、2006
「人間の条件 1942――誰が中国の飢餓難民を救ったか」劉震雲著/劉燕子訳 四六判上製本、364p、集広舎、2016
作家の劉震雲が現代からこの時代(1942-43年)をルポする形で1993年に「温故1942」として発表したルポルタージュ小説。中国で大きな反響を呼び、2012年には映画化もされた。
日中戦争中の1942年、日本軍は中国河南省でも蒋介石率いる国民党と闘っていたが、そんな1942年河南省を大飢饉が襲い、人口3000万人の河南省では人口の1割、300万人という大量の餓死者が発生した。不幸なことに翌年の43年には大量のイナゴが発生して干ばつはさらに悪化した。
そんな中でも、蒋介石は住民に食料を手当てすることなく、農民は農作物を食べつくし、木の皮や根まで食べ作り、他の省へ逃亡する難民も300万人に達し、中には赤ん坊まで食べる者さえ現れる最悪の状況だった。
そんな時、食料を放出して農民を救ったのは蒋介石の政府ではなく日本軍だった。供出したのは現地調達した軍糧だったのだが、中国政府(国民党)が住民の救済も行わずに放置した中で日本軍が食料を放出したことで、日本軍に敵対していた住民も、日本軍に協力するようになり、日本軍は中国侵攻をスムーズに進めることができたという。
当時、わずか6万の兵力で40万人の中国軍を敗走させたといわれている日本軍侵攻の裏にはこうした事情があったらしい。もちろん日本軍が軍の糧食を放出したのは侵攻するために住民を懐柔するという狙い以外にも、農民の苦境を目の当たりにして人道的な支援を行うという思いもあったはずだが、この戦略が日本軍本部のものか、配備されていた地方軍幹部の意志か、詳細については、日本軍関係の資料も失われて詳細は不明だ。
もちろん美談だけではないにしても、多くの命を救ったことは間違いのない事実。当時、結果として日本軍に協力した住民も「食料を支給されただけで簡単に国を売るのか」との非難を浴びたらしい。が、戦後「ギブミー・チョコレート」で鬼畜米英と仇のように思っていた米兵に手の平を返すようになびいた国民もあったことを考えると、そういうものなのだろう。
「人間の条件 1942 誰が中国の飢餓難民を救ったか」はこのルポルタージュ小説「温故一九四二」に映画のシナリオを追加して出版されたもの。
映画化するにあたっては、日本軍の行動を美化するような要素もあるため難しいようだったが、ストーリー的にさまざまな条件が課されて(日本軍の残虐な行為などを盛り込むなど)、何とか共産党の許可が出て映画化がすすめられたようだ。
映画をぜひ見てみたいが、日本語化されていないようなので難しそうだ。映画タイトルなども不明。