純度百%
ちょっと今日は関西弁で行かしてもらう。早速。
無知とは純粋なんじゃね?と。
偏見とかもなんの知識も無かったらそもそも生まれなくね、と。先入観とやらも。
知らないうちが華、的な。知らぬが仏、かな有名なのは。
こっから私の美徳やけどさ。
嫌なことは見なくてもいいと思う。
耳は塞いでもいいし、口は閉じたままでいい。
目を閉じてその上から手で覆ってもいい。
知らないことで守れるなら知るべきでは無いと思うし、知識があることだけが素晴らしいわけじゃないと思うねんなぁ。
子供が綺麗に見えるのも世界の汚い部分を知らないからやと思うし。
そもそも人間には汚い部分は備わっているのか?
子供は何も知らないまま育ったら綺麗なまま、なんだろうか。それとも後々身につけていくのか。
性悪説や否か。
世間知らずと言われるかもしれないが、純粋に育つとは何も知らないことなのかもしれない。
人間はそもそも純度100の善意は持っているのか。
ボランティアとか寄付とか、人助けをするとき人は利他的だと言えるかもしれん。
けどこれはほんまなんかな。
非難するつもりはなく。
自我がある以上、人間は全て自分のエゴや倫理観に従いたいという欲を満たしている利己的なものだとも思える。
まあこれに対する私の一応の答えは、
その善意の中身よりかはそれによって結果的にGoodならもういいじゃないかと。
やらない善よりやる偽善、との折衷案みたいな感じやな。
話は打って変わって(?)
私はたまに頭の重さを感じる。
これは多分、知識の分の重さだと思う。
知識に質量があると言いたいわけじゃないけど笑
それによってなにか荷が重いと言うか。
そのために忘れるっていう能があるのかもしれへん。
忘れるって覚えることより大事。これほんと。