1950年代の演芸番組の変遷を見る
演芸番組は減った。今は定時放送としては日本の話芸、真打競演、ラジオ深夜便、演芸図鑑、落語研究会ぐらい。しかし真打競演は休止期間も増え再放送も多くなった。日本の話芸は一時終了番組扱いされるなどメインの東京落語会が終了し継続も危うい。演芸図鑑は対談がメインで時間が短い。
もう10年以上になるがラジオ名人寄席は風情を感じる名番組だった。玉置宏氏の解説に味があり、まず他番組では流れない珍しい噺家や音源も多く、中入りにクラシックが流れるのも情緒があった。音源問題で打ち切りとなってしまったのは惜しい。故意かどうかも定かではないがそもそも2つの音を同一音源と証明することは至難らしい。それほど追及する必要があったのか。告発した草柳俊一氏や川戸貞吉氏は番組の一掃までは予想だにしなかったのでは。それ以上に大改編で長寿番組は一掃され10年程でも番組の顔ぶれは大きく変わった。名人寄席のような番組は期待できない。
落語の全盛期であった1950年代後半~60年代には寄席番組がどれほどあったのか。新聞ラジオ欄をいくらかの日をランダムに調査してみた。
このうち可楽の三方目出度いは音源が現存しCD等で販売されてるようだ。後の番組は音源は発見されてないか。
1957年1月5日
この日は年始という事もあってか演芸番組が多い。ニッポン放送は4番組もある。今と違い番組時間が短くそのすき間を埋めるように落語放送が組まれている。おそらく寄席での収録が多いのか。手軽に番組が成り立つだけ重宝されたのだろう。この他にも浪曲の放送も多かった。このうち柳枝のかつぎやが現存している。1960年代になると落語ブームも下火になったというが
1960年代前半は変わらず放送が多い。浪曲や講談も豊富にある。名人上手の多かった時代。
1960年代終わりになると寄席番組はほぼ消えた。代わりに落語家が司会を務める番組が目立つ。ランダムに見て明確なだけ落語一本では番組が成り立ちにくくなったのだろう。落語家にタレント性が求められる時代になったのが伺える。会長であった円生も1966年の「おはなはん」に出演し以後ドラマに時折出演している。
1960年代には三遊亭金馬、可楽、円歌、小文治といった大正期からの古参の噺家が物故し、志ん生は引退と当時の噺家数から見ると噺家の層は薄くなった。それを埋める層が少ないのも減少の原因だろう。1966年を見ると若手2人は昼帯で一席伺っている。当時は二つ目の噺家にも出番が多かったと円丈の回顧を聞いた事があるが確かにそのようだ。他にも番組欄から色々とみてみたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?