横綱審議委員会の意義
豊昇龍の「早すぎる」横綱昇進で露呈…わずか10分で終了した、横綱審議委員会の「無意味さ」を読んだ。これは横綱審議委員会の決定を疑問視したもの。
推薦の意義
豊昇龍の横綱を巡っては、審判部の中でも尚早という意見も多く、いわゆる全会一致とならなかった。それは当然、3敗という成績・しかも平幕力士に・先場所は優勝していない・3場所前は8勝というさまざまな要素である。その結果理事長と審判部長の意見で推薦ということが決定した。異例であった。
しかし横綱審議委員会のメンバーは9人全員が賛成。この慎重論とは裏返しにあっさり通ってしまった。そして会議は10分程度で終了。これでは協会の挙げた昇進案をそのまま受けたのみで、意見交換などないようなものだったはず。
委員の任期は10年。数年に1度という横綱昇進の機会では審議をする機会は3回ほどということとなる。横審の唯一といってもいい大仕事だが、それにもかかわらず形式的なものであっさり終了となった。
同記事では年6場所制に移行してから歴代横綱は実にその半数が昇進後に何らかの不祥事を起こしているとする。たしかに何もなく終わった横綱は朝潮、栃ノ海、三重ノ海、隆の里、大乃国、北勝海、旭富士、武蔵丸、鶴竜ぐらい…
大鵬柏戸は拳銃事件、北の富士は休場騒動、若貴にしても洗脳事件など傷は多い。近年のモンゴルは言うまでもない。稀勢の里が含まれるか含まれないか定かではないが、休場の多さで激励の処分は受けた。
横綱は孤独
横綱というのは常々孤独といわれる。大鵬や北の湖も三役までは土俵が楽しかったようだが、横綱になっては土俵が怖かったようだ。大鵬も大一番前夜に精神安定剤を飲んだという話も。
横綱になると周囲の力士はおろか、師匠や後援者でさえ物申しにくくなるという。解雇同然だった双羽黒も周囲との距離があったという。孤独というのはこの点にもある。
横綱は退路を断たれる地位だ。単なるスポーツではない大相撲だからこその特別なものと考える。
のちの28代木村庄之助が伊之助の頃の話。
うろ覚えだが、奉納土俵入りか何かの公式行事の際、双羽黒がグチグチと式が面倒である、何の意味があるかといった駄々こねに近い態度をとっていた。それを伊之助が諫め、式の意味を訥々と話したところ、双羽黒は大人しく納得したという。大関時代の話かもしれない。伊之助はこのエピソードの後、この人は何も分からないんです。だから周囲が教えてあげなければいけない。理解すれば黙って聞いている。周りも悪かったと振り返っていた。
双羽黒の場合、朝青龍などにもいえるが昇進が早い。新横綱の2年前は入幕というところ。これでは幼稚なのも無理もないといえる。 ちなみに28代庄之助は曙にも相撲史や心構えを教え、 曙は日本の父と慕い、引退後にも交流が続いていた。このような存在がいるかいないかは大きい。
横綱審議委員会がそのため果たす役割は大きい。最後の砦としての組織。機能すればこの上なく頼りがいがあると言えるとしている。
過去はどうだったか
過去の横審を見ると
1987年の双羽黒脱走騒動の際は稲葉修氏が「審議委員としても責任を感じざるを得ない。ただ、これはまず部屋の問題で、廃業か破門かケジメをつけるべき。」「横綱審議会としては今後、星勘定だけでなく私生活面も重視しないといけない」と話していた。
また「核心 双羽黒ショック 横綱審を逆“総見”」という記事は双羽黒を昇進させた横審にも問題ありといった論調の記事。ここでも稲葉修委員が
「子供みたいなやつを諮問してくる協会もおかしいが委員長もおかしい」、「諮問通りやらねばならんものではない」と双羽黒以上に協会に対して厳しく当たっている。
1991年名古屋は、千代の富士引退で北勝海、大乃国、旭富士の3横綱となった。しかし大乃国は序盤より不調で中日に引退。2横綱も黒星が重なり12日目、13日目に勝ち越しという状況であった。
この頃の記事を見ると親方、横審とも辛らつだ。朝日新聞の「若手、横綱を寄り切る 「結び」見ず帰る客も」という記事は不甲斐ない横綱についての特集。
場所中の懇談会の席上で二子山理事長(元横綱・若乃花)は
お客さんが入ればいいというものではないは響くもの。今の集客至上主義はどこかでツケが廻りそうだが…
引退したばかりの千代の富士の陣幕親方も
児島襄委員は「今の横綱は物足りない。けががあったり、体調が悪いときもあるだろうが、最低でも10勝できないなら、土俵を降りるくらいの覚悟が必要だ」と話す。
結局横綱は再起することなく引退。横綱空位となった。
また1999年には3場所休場の曙をめぐって引退勧告という意見も出た。
3場所全休ということで引退勧告は強硬ともいえるが、モノ言う立場としてはこれもありではないか。もっとも当時は3横綱がおり、その中で曙はもっとも古株。だからこその意見ともいえる。意図はともかくおざなりの会合ではないということ。
照ノ富士を放任した
このように自由な発言があったものだが、同記事では照ノ富士に対し何の意見もなかった横審を問題視している。
照ノ富士は引退までの2年間は千秋楽まで出場したのは3場所であった。その3場所は全て優勝で、終盤戦に強さを見せたともいえるが、12場所の4分の1の皆勤の横綱に対して、9人も居る横綱審議委員が見守るばかりでなんの苦言もなかった。
これは唯一の横綱である照ノ富士を守るという意識もあった筈。大関陣はとても横綱という成績ではないのが大半。貴景勝は横綱に何度か手をかけたが押し一辺の相撲ぶり、まん性的な怪我、四つになるとまったくの不得手ということから現実的ではなかった。事実貴景勝は2020年7月~九州に3場所33勝、2022秋~23初も32勝というここ数場所の豊昇龍に近い成績を挙げたものの、横綱の声はかからなかった。
横綱の強さによって推挙、激励といった仕組みが保たれることから、横綱審議委員は横綱という地位を守るという視点も必要と提言する。
さらに今回の横綱昇進に際してある委員が「モンゴル横綱は全員が全員、横綱の品格ではなかったでしょ?」と発言した。これをもって退任のようだが、今回の昇進に際して人種を一括りにしてこのような発言をするのは一体どういうことか。であるならば昇進を拒否するのもありだったのではないか。全会一致という判断とどこかかみ合わない。
組織として機能を果たしていないどころか、相撲の評判を落としかねない発言をする委員さえ居る横綱審議委員会と総括している。
メンバーを見ると新聞社の社長は昔から多いが、近年は官僚も入りつつある。監事にも天下りとして入り込んでいるが、相撲協会も天下りポストと化していくのか。
ともかく豊昇龍の昇進をめぐって、横綱審議委員会というものの意義まで疑問視されることとなったといえる。十分な審議もせずあっさりと昇進を許し、蛇足に人種差別のような発言をしてしまう。横綱以上にこちらの在り方が重要かもしれない。