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大相撲のゆくえ
日本の男性最高齢者が大正3年生まれとなった。大正3年といえば五黄の寅。相撲界で言えば当たり年で安芸ノ海、羽黒山、前田山と横綱3人、名寄岩の大関1人を輩出。しかし双葉山の2年下という時代の不運で、一時代を築くまでとはならず引き立て役に終わった。とはいえ戦前戦中の角界、戦後の混乱期も中心にあった。力士人生も長く羽黒山が昭和28年、名寄岩は29年と栃若時代の幕開けまで土俵に在った。その全盛期は長い。しかし引退後は短命で安芸ノ海が64歳まで存命だったのが目立つぐらい。
大正5年の丙辰には若乃花、輪島といった横綱や多数の幕内を育成、現役時より引退後に名を成した大ノ海のち花籠、大正6年の丁巳には現役時には飛燕の出足といわれる玉錦譲りの速攻、引退後に天の配剤とその運を表現し、精魂込めて大横綱大鵬に育てた佐賀ノ花のち二所ノ関がいる。大正7年には柏戸を育てた伊勢ノ海。大正8年には横綱を10年張った桜色の音楽照国。いわばこの時代の力士は現役時、引退後ともに長く大相撲を支えたといっていい。さらにいえば輪湖のあとの若貴時代も大ノ海-若乃花-貴ノ花、前田山-高見山-曙と影響を残す。 若貴曙がいずれも早くに協会を去り後進面での影響は低いだけに大相撲の長い系譜というものを感じる。
秋場所に戻すと大の里が止まらない。
10日目。霧島は左に変化。しかし偶然のようにうまいこと右が入った。腰が高く半端とはいえ体力を利して出ると霧島は何もできず。右が入らなければ慌てて引きに行ったかもしれない。右は入れたというよりうまくとっさに入ったのだろう。
10勝。もう大関は間違いないが、先の話を見ると横綱昇進、幕下付け出しの輪島の21場所が最速だが、更新の可能性もある。 明治23年の横綱が地位とされて以降では、栃木山と大錦の15場所。これも更新ということも考えられてしまう。それほど壁が見当たらない。自分自身が最大の壁ではないか。
大の里を見る限り敗れた相手にもしっかり対策して相撲を取っている。先場所から成長している。上位陣はほとんど同じ顔ぶれでありその点はやりやすい。 2敗に若隆景・錦木・高安といるがいつも同じの三役陣より手ごわいのともいえる。大の里を倒すのは変わり映えしない上位より平幕中位の力士かもしれない。
しかしこのままでいいのか。大の里はまだ9場所の経験の上負け越しもない。通算で27敗、幕内では5場所で17敗と勝率7割5分である。何といっても大相撲経験が少ないだけ、長い相撲となったこともない。脆さもあり。投げを打つ力士自体減ってるが、投げ技をかけられるとあっさり転がる。四つには取り組まない方針のようで突き押し一辺という。霧島戦での寄りも腰を割っておらず上半身を浴びせて圧力で勝っていた。少ない黒星を見ても技術的には穴が多い。無敵ではないのだ。
大の里の行方というより大相撲~としたのはある意味最後の横綱となるかもしれないという予感である。学生相撲も小型が増え180センチでも大型という部類に。新弟子数も減少傾向で年間60人がやっとの世界である。 そうなると圧倒するような力士が出てくるのか怪しい。今場所2敗で追うのもベテランが多いのが縮図である。荒削りの大の里がどこまでいってしまうのか。