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秋場所だが・・・

番付発表。しかしいつも以上に変化に乏しい番付だ。

横綱照ノ富士に大関は2人。一時4人まで増え、形としては賑やかになったが陥落続きでまたもや2人。豊昇龍琴桜とも不安定で安閑とはできない。

関脇が4人。関脇に居続ける人、大関から落ちて勝ち越した人、大関から落ちた人といろいろだ。そのため小結で勝ち越した大栄翔平戸海が割を食ってしまった。特に平戸海は10勝。昭和60年の北尾以来。5関脇でもよかった。

照ノ富士は糖尿病で体重減に加え膝の痛みが出ているようだ。どうも休場か。とはいえ巡業には精力的に出ている。優勝の貯金もあるとはいえ、このあたりが好意的な評価となっている要因のようだ。

貴景勝。巡業も出ずあまり様子が報じられない。関脇で10勝に懸けているようだが雲行きは良くない。10勝での復帰は過去に三重ノ海・貴ノ浪・武双山・栃東・栃ノ心・貴景勝で6人7例。2回は栃東だけである。2度目の平成17初は28歳2か月の時。くしくも貴景勝が28歳1か月となる。ほぼ同じである。相撲ぶりは全く異なるが年齢だけ見れば…とも考えてしまう。しかし満身創痍では厳しいだろう。

大の里。大関とりが継続。今場所優勝、あるいは11勝程度でも昇進があるのか。大関2人とはいえこの先1年で大関昇進がありそうなのは大の里ぐらいだ。他の力士が大関というのは想像しにくい。よくて大栄翔。それだけに大の里にはかなり後押しとなる。

新入幕は阿武剋と白熊。2人とも日体大出身。白熊は二所ノ関部屋。 阿武剋はモンゴル30人目の幕内。北の若が再入幕。北の富士の孫弟子だがパッとしない。膝のけがもあるが恵まれた体ながら力強さは見えない。

朝乃山は十両陥落。当分休場だが元大関の十両も何の違和感もなくなった。復帰はできるのか…

元大関をみると3枚目が御嶽海、4枚目に正代。この2人は何かと歩調がそろうこと多く東西に並ぶ、1枚違いが何度かある。大関時代の不調から見ると今も奮闘している。15枚目に高安。この位置ではまたもや優勝争いに加わりそうだ。ただまた怪我で後退というのもあるだろう。巡業も全休だがどうか。

明治16夏の一ノ矢から継続している青森県の幕内が危機。阿武咲も十両陥落で宝富士と錦富士だけ。ベテランと幕内下位定位置では消滅待ったなしか。

一ノ矢が大関まで進み明治25年引退後、土地相撲の親分として巡業に歩いた。それを慕ってか高砂部屋への入門が増え、津軽部屋とも呼ばれた。明治期の綾川、綾浪といった力士が高砂である。いわば津軽相撲の下地を作った。特に戦後は鏡里、若乃花、栃ノ海、若乃花2、隆の里、旭富士と横綱を輩出。大関も戦前から鏡岩、清水川、貴ノ浪など一大勢力であった。ほかにも陸奥嵐、出羽の花、舞の海、高見盛、安美錦といった名わき役を生んだ。技能が多彩なのも特徴で押し相撲力士が少ない。どの時代にも青森の名力士がいた。

大の里もすっかり当代が浸透したが、大正昭和に青森の名大関がいた。162センチ97キロの体で大関昇進。徹底したすり足、おっつけや土俵際での巧さは当時随一のものだったという。体格はある意味現大の里とは対極であるが、稽古熱心さ、人情に篤い温厚な性格、後進への熱心な指導から「相撲の神様」と呼ばれた。「晩にいくら飲んでもよい。あくる朝どんなに疲れてもいいからおれの顔を見に稽古場に来い」と名言を残す。7年大関を張ったが、ストライキの首謀者に祭り上げられ脱退。引退後の資金として残した2万円(現在の2億円ほどか?)はほぼ新団体の設立に要し、45歳で弟子を案じながら大連で寂しくなくなった。こんな大関が出てくるか。

今年尊富士が貴ノ浪以来の優勝を決めたが、こんなとこにも相撲の衰退を感じてしまう。



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