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止まらない涙と付き合う

私は小さい頃から本当に泣き虫で、ただメンタルが弱いだけでなく涙もろい。最近ではお線香のCMでも泣けるくらい涙腺が終わっている。
また、一回涙が出てしまうとなかなか止まらない。自分の意思で止められない。
人前だと、泣いてしまった恥ずかしさや、迷惑かけてごめんなさい…という思いがさらなる涙を呼ぶので、負のループ。

「涙」にまつわる経験は、私の人生の中でかなり大きい。ずっとそれをまとめて誰かに共有してみたかったので、今回は「泣くこと」に関して私が思うことを書いてみたい。



幼少期の体験

幼少期は、特に「泣くな」と言われてきた。「学校で泣いてしまった」と言うと怒られた。「そんなことでいちいち泣くな」「迷惑だから」……。
泣くことはダメなことで、涙を止められない自分はダメなんだと思っていた。


幼稚園の時は、朝、親と別れる時にいつも泣いてしまう子供だった。たまにこういう子いるとは思うけれど、みんなで何かする時間にも泣き止んでいないと、廊下に一人でイスごとほっぽり出されて、シクシク泣いてた。幼稚園初期の記憶、それしかないという暗さ…。(今思えばひどい話では…!)

小学校時代は、体が弱くしょっちゅう具合が悪くなっていて、そのたびに泣くし、怪我も含め「痛い」「いやだ」で泣くことが多かった

また、このころから感受性が豊かすぎたのか、音楽の授業で「感動する系の歌」を聞いた時にも、一人だけ泣いてしまったことがある。その歌を聞くと必ず泣いてしまった。なんでか涙が出てしまって自分でも戸惑っているのに、みんなの視線も怖くて、いやだった。でもその時の先生はその涙を肯定してくれて、優しかったな。

この他にも、大好きだった先生が別の学校に行くお別れ会や、下級生が6年生を送り出す会など、「感動」でも泣いてしまうようになる

そして私が泣くたびに、男子や気の強い女子からからかわれた。「え、あいつ泣いてんの?ww」みたいな声が後ろからした。
ちょっとしたことでも「〇〇ちゃん泣いちゃうから」みたいに言われるのがすごくいやだった


自己分析

成長して中高生になると、単に「痛い」とかで泣くことは減り、「辛い」「申し訳ない」「悲しい」または「感動」など、こころが(苦しく)動いた時の涙が増えたように思う。
また、冒頭でも書いたように、CMなどちょっとしたことでもうるっと来ることが増えた。世界史の授業で、奴隷貿易の話を詳細に聞いた時に泣きそうになったくらい、共感性・想像力が高いんだなと自分でも思う。

お葬式や卒業式でも一人号泣。そういう時に、なかなかそんな自分を肯定できなかった。「こんなに泣いてて、周りの人になんか言われてるかな」とか「見てんじゃねえよ!泣いてわりぃかよ!!」とか思う自分もいて、「泣く=ダメなこと」が根強いんだろうなと思う。絶対そんな風に思われていない場面でも。

社会の通念としても、「泣くことはいけない」という考えはあるなと感じていて、生きづらい。迷惑に思わないで、もっと優しくなってほしいと思う時がある。

「泣けば許される、守ってもらえると思ってるのか。」そう思われることも多かった。
でも泣こうと思って泣いてるんじゃない。言葉より先に涙が出てくる。止められない。上のようなずるい考えではなく、感じた気持ちに向き合おうとしたときに、とたんに溢れだしてしまう。

大人になったら、感動の涙はおかしいことではないというのも分かり、またHSPの概念が登場してきたこともあって、泣くことは悪くないと思えるようになった。むしろ泣いてることをバカにしてきた人たちに鉄槌が下ればいいと思えるようにもなった()


涙に対する考え方

最近、「感情」とか「こころ」の例えを思いついた。
こころのキャパは人それぞれで、大きさの違うコップをみんなそれぞれ持っているとする。さらにそこに、人によって感度の違うアンテナが生えているとする。このアンテナが敏感だと感受性が高い。
アンテナが、外や内からの刺激に反応すると、感情がコップの中に溜まっていって、溢れたり自然に蒸発したりする。
と考えた時に、私はコップが小さいけどアンテナが高感度だから、多く溜められなくてすぐに溢れてしまうのかな、と思った。溢れた感情が、私の場合は「涙」として。

コップとアンテナのイメージ


自分の経験やHSPの概念を知って、こころを守るために涙が出るんだと思えるようになった。
気持ちがキャパオーバーした時に、強い刺激からこころを守って、そのストレスを発散するための手段。その方法は人それぞれだけど、私はその手段が「涙」だっただけなんだなと。
なおかつ感受性が高い分、そういう防衛の機会も多くなり、よく泣いてしまうんだと。

そう思えたら、泣くことはダメではなく、むしろ感情に素直に向き合って、頑張っている最中なんだと考えられるようになった。


今後

もう泣くことなんて私にとってはデフォルトなんだから、気遣わずほっといてもらっていいし!
とは言っても、TPOはわきまえないと迷惑なのは分かる。

それに我慢せずダラダラ泣いていたら、コントロールできなくなりそうで(現に危うい)将来が怖い
映画やドラマで泣くことも多いが、誰かと見ている時はまだ我慢できるものの、一人の空間で見ていると「そこで泣く!?」というところでもボロボロ泣いてしまう。
また、やっぱり一度泣くとしばらく防御力0になり、止まらなくなってしまう。落ち着かないうちに刺激を受けると、いつもより過剰に泣いてしまう。「大丈夫?」とか優しくされるともっと止まらなくなる。本当にほっといてくれていいんだ…。
すぐに自力で落ち着けるようになりたい。


でも、もう否定はしたくない。
他人から涙をバカにされても、そこで一緒になって自分をいじめてはダメだと気づけた。自分だけは自分の味方でいてあげないと、誰も自分を守ってくれなくなる。その考えに出会ったときに、すごくハッとして、怖いことだと思った。

少しずつ、自分に優しくできるようになれているのかなと思う。
コンプレックスだった「泣き虫」を肯定出来たら、自分にとって大きな一歩だと褒めてあげたい。

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