
LINEの返信に思うこと
LINEの返信一つに踊らされている自分が情けなくて嫌になる。
私はLINEの返しが早い方だと思う。
「来た瞬間に返す」は早すぎるのは分かる。引かれそうだから。でも緊急性があったり、話が弾むような話題だったらすぐ返す。
それ以外の普通のLINEは、遅くともその日中には返す。答えが出ないなら返せる答えが思いつくまでは放置することもあるが、基本はすぐ答えられるから、その場で返す。
第一、ずっと未読で持っておくのが嫌だ。早く話を進めたいという気持ちが大きい。
しかし私の周りの子は、あまりLINEが早い子は少ないように感じる。私が早すぎるのか。
私は、丸1日返信がないとイライラしてしまう。だって1日あればスマホもLINEも開くでしょ。丸1日もあれば、意図的に返してないことが分かってしまうから嫌になる。
「この子は返信遅い子だ」と思えば、慣れて我慢もできる。
また、スタンプだけ送って会話がもう終わりみたいな時には放置するのも分かる。
でも聞かれたことにこっちが答えてるのに(しかも早めに)、それに対して全然返されないとちょっと不満。
他には例えば、会う約束をしていた時間を変えたいと言われた時、私が「了解」と送ったとする。それに対する返事が、もともと約束していた時間までにない時、すごくイライラする。仮に私が断っていた場合どうすんの、って思ってしまう。変更に対応したんだから、せめて何らかリアクションするのが礼儀だろうって思ってしまう。私の心が狭いのかな。
さほど重要視していない連絡、サークルの事務連絡とかは別にそこまでこだわらない。でも、親しくしたい人からのLINEが返ってこないと不安になる。遊ぶ約束についての会話や、特にこっちから誘ったときになかなか返信がないと、極端なネガティブ思考が顔を出して、「嫌われた」とか、「きもかったかな」とか、「私友達作り苦手だったな」とか、嫌なことを思い出して一人でどん底まで落ち込む。
どうせ来てないと思いつつ、どこかで期待してスマホを開いては返信がない度に、もどかしさ、不安、焦りに苛まれてイライラしたり、他のことに手が付かなくなる。そんな自分も嫌になる。
そして大体、あっさり相手から返信が来る。私はこんなに待ってたのに…と思うのも束の間、とりあえずほっとでき、別のことにも手が付けられるようになり、自分の機嫌もよくなる。
こんなふうに、LINEの返信一つに、いつも簡単に振り回される自分が嫌だ。返信ペースもその人次第。信じて待つしかないのだろう。
私は、人から煙たがられる、めんどくさがられる、嫌われることが何よりも怖い。人から関心をもって見られないことが怖いのだろう。相手からのまなざしが欲しいんだ。
LINEの既読未読は、自分を見てくれているかどうかを残酷なまでに可視化する。相手からまなざされていない不安が、返信が来るまでの時間に比例して大きくなっていく。
似ているかもしれないが、未読のままにしておくと会話が続いている安心感があって、全然返信できるけれどためてしまう、と言っていた友達もいた。それもある種、相手からのまなざしをとどめるためのテクニックなのかもしれない。そのせいで止まっている会話を私は欲しているのだが。
また、相手から来なかった時間と同じくらいの間を置いて返信する、という子もいた。極論、半年返信が来なかったら自分も半年は空けるという。だが私は上でも書いたように「早く会話を進めたい」が勝ってしまうので、そんな復讐法的な返信スタイルはできそうにない。
相手からの反応でしか自分の価値を測れなくなっている、そんな自分がみじめに思えてくる。私はそんな程度の人間なのか。
気にせず、自分のやることに打ち込めればいい。別のことを無理やりしてみる。でもある程度経ってもう一度スマホを開いても、そこに通知はない。また失望感の繰り返しになる。
そして「早く返してよ」とも言えない。「返信遅れてごめん!」に対して、「全然大丈夫だよ~」なんて送ってしまう。一人で苦しんでLINEに踊らされて本当の気持ちも言えないで、何やっているんだろう。
卒業論文でこの辺りのことを扱っているので、身に染みて分かった。
現代人の不安定な自己肯定感は、他人に依存しないと、支えられない。
言い換えれば、他人の眼が自分の存在を支えてくれる。
だからこそ、他人との関係を失わないように、お互い表面的なつながりしかできない。他人との関係が傷ついたら、自分を見てくれる人がいなくなり、自分の存在も危うくなってしまうから。
簡単につながれて、つながっているのが当たり前というSNSの社会で、そのつながりが途絶えることがいかに焦りを生むのか。現代はやっぱり生きづらい。
最近、昭和に行ってみたくなっている。令和は便利すぎる。みんなが時間になったらテレビの前に集まって、同じもので盛り上がれて…というのに憧れる。ちょうどいい不便さと、それを補う人との生のつながり。令和の多様性に対するやさしさだけはそのままで、デジタルのない時代に生きてみたいな。
こんな年の瀬にカリカリしている自分にまた自己嫌悪なのだが、ずっとモヤモヤしていたことなので、書いてみた。現に返信待ちなので、落ち着くためにも書きたかった。
そして、書いている途中に相手から返事が来た。何ともないような口調にため息が出る。でも相手が向けてくれたまなざしへの安心感もある。なんなんだろう、もうこうして生きていくしかないのかな。そのうち達観できますように、寛容になれますように…。