金子兜太「わたしの骨格『自由人』」NHK出版
以前、この人から「産土」と「荒凡夫」を学んだ。
それは俺にも十分響くものだった。彼は実に無邪気な側面をもっている。所謂「正義感」だ。これを持つ人こそが「健全な精神の持ち主」なのだという。大いに同感だ。「いじめる奴」と「守る奴」がいるとしたら、絶対に「守る奴」になる。「誰かの役に立つ」とかいうきれいごとじゃなくて、「弱きものの側に立って守る」という「正義感」に立つ彼の思想は、俺のスタイルとかなり重なる。それから「主義」の奴隷にならないこと!宗教とか主義といったものはその宗教や主義の奴隷になることだ。
「自分はどこまでも自分流」この考えが徹底している。氏の健康法は自由気ままに生活することらしい。我慢しないことが健康法なのだそうな。もう一つは立禅、亡くなった方を悼むことは記憶力の活性化にもつながるそうな。
彼は自由人を自分の骨格としている。ただし「常識の範囲内で」知恵深く生きるのが金子流なのだ。社会を捨てて「放浪の自由人」となった山頭火スタイルではなく、「社会の中の自由人」を貫いた一茶流に氏は心を置いている。しかし根っからの「組織嫌い」なのだ。彼は組織で偉そうな顔をする輩を徹底的に軽蔑し嫌っている(ここんところは俺とかなり似ている^^)。
氏は「組織を利用して自分流を貫く」という姿勢をもつ。それは「分をわきまえず自分勝手に」ということではない。しなやかに組織で生きつつも自分の立ち位置は明確にしておく。ここが俺が最も感銘するところといっていい。組織に潰されるのではなく、組織の力や報酬を泥棒してやって、全部自分の骨格にしてしまうわけだ。これが自由人たる由縁なのだ。
自由という意味については鈴木大拙の方が深いが、金子の考えは実に「庶民的」だ。これもまた良いのだろう。こういう自由人ともっと会いたい!その気持ちを持ち続けてこれから俺も「自由人」としての骨格をつくっていきたい。