ヴァ―ツラフ・ハヴェル「力なき者たちの力」人文書院
元チェコスロバキア大統領ヴァ―ツラフ・ハヴェルについてほとんど知るところがなかったのだが、NHKの「映像の世紀バタフライエフェクト」で彼と伝説のロッカー「ルー・リード」との関係を知って、引き寄せられるようにこの本に出会った(「100分で名著」でも2年前に扱われていたことを今になって知り、読んでみたが、ルー・リードとの関係にはまったく触れていなかった)。
「バタフライエフェクト」によるとハヴェルという人はもともと劇作家で、60年代にアメリカに滞在したことがあり、そこでルー・リード率いる「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」の音楽に出会う。1967年だからアメリカではベトナム戦争の反戦運動が拡大する前年、チェコでは「プラハの春」の前年ということになる。ルー・リードはボブ・ディランにも似て詩人でありアートなミュージシャンであるが、明らかに人間個人を丸裸にするような本能をそのまま歌詞にする「超アウトサイダー!」。その人間臭い音楽にハヴェルは惚れ込み、これをチェコに持ち帰る・・その音楽はチェコの若者に引火し、のちに「ビロード革命」の原動力となる。
前置きが長くなったが、ここまできたらもう原著にあたらない術はない!ということで読んでみた。
本著は1978年「プラハの春」でチェコスロバキアの民主化が挫折して10年目を迎えた冷戦体制下、地下出版の形で広く読まれた。冒頭はあの「共産党宣言」のフレーズで始まっている。
「東ヨーロッパを幽霊が歩いている。西側で「ディシデント(反体制派)」と呼ばれる幽霊が」
このディシデントを反体制派、反対勢力として考えると思いきや、全く違うもので、「自由を愛し、疑問を放置しない個人の集まり」であったことに少し戸惑いを感じつつ、その個人がチェコスロバキアの民主化革命(ビロード革命)を実現する直接の原動力になった事実を知り、なんともいえない嬉しいショックを受けた。
劇作家らしくハヴェルは「メタファーと問いかけ」を駆使して読む人を引き込むことに成功している。一番印象に残っているのは「青果店の店主」の話だ。
店主は「全世界の労働者よ!一つになれ!」という共産党のスローガンをショーウインドウの玉葱と人参の間に置いた。なぜ、彼はそうしたのだろう?そうすることで世界に何を伝えようとしたのか?
そう、いまの世界でも起こっていることだが、イデオロギーを店主が主張しているのではなく、「生活していくため」に「従順という記号の表示」のためにそうしているわけだ。ハヴェルはイデオロギーについて「世界と関係を築いていると見せかけるまがい物」「偽りや嘘で塗り固められた手袋」と吐き捨てる。鮮烈に「ポスト全体主義」の実像を暴いているわけだ。そして問いかける。
「いつまで嘘の中で生き続けますか?」
ポスト全体主義体制の「自発的な動き」は社会的疎外という恐怖のナイフが背中に当てられて動かされている。しかしポスト全体主義体制の土壌は嘘という実に弱い土壌の上に立っている。ポスト全体主義体制下においては「嘘の生」が自分を守ることになるが、その対極にある「真実の生」を選んだらどうなるか、当然多くのリスクを覚悟しなければならない。
この「真実の生」の実践は憲章77(1977年発行の「人権抑圧への講義と人権遵守に関わる文書」)によって国民に示された。当時のフサーク政権はこの「真実の生」への動きを押し込めようと躍起になるが、特にザ・プラスチックピープル・オブ・ジ・ユニバースというバンドがこの憲章77を後押ししたことが、若者を「真実の生」に目覚めさせる大きな要因になった(ハヴェルがアメリカから持ち帰ったヴェルヴェット・アンダーグラウンドが火種)。当時、民衆を抑圧していたフサークはこれを脅威として封じ込めるが、一度ついた「真実の生」への渇望の火はとどまることを知らなかった。
ハヴェルは何度も投獄されながらも「真実の生」を自ら貫く。
ハヴェルがこの「真実の生」に至る道として示したのが「並行構造」というものだ。言い換えるなら「もう一つの文化」となる。つまり特別な組織を持つことなく、「真実な生」を追求して集まりができ、必要なくなればすぐに消えてなくなるようなゆるい社会、文化のことである。「一つの方向」「一つのイデオロギー」に向かわせようとするポスト全体主義の正反対の動きである。この運動のエネルギーはアートであり音楽であり、演劇である・・。この辺が劇作家出身のハヴェルらしい発想だ。
結局1989年のベルリンの壁崩壊の流れもあって、フサーク政権は倒れ、ハヴェルは大統領にまでなるのだが、チェコスロバキアでおきたビロード革命をめぐるハヴェルとそれを支えたアーチスト達のストーリーは実に興味深い。「言葉の力」をもとに「個人」が結集して成し遂げたビロード革命!世界史を専攻していながら全くしらなかったヴァ―ツラフ・ハヴェル、憲章77の存在!
知ることの楽しさを改めて感じた一冊だった。