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庄野護「スリランカ学の冒険」南船北馬舎


スリランカには5年前に行った。カタール経由でいったたのだが、空からみたアラビア海、そしてスリランカの西海岸でみたインド洋の夕日の美しさが今でも目に焼き付いている。スパイシーなカレーと濃厚な紅茶もかなり印象的だった。まあ、いまは国全体が大混乱に陥っているけど・・。また行きたい国だ。この本で気になったテーマについてメモしておきたい。

セレンディピティ
セレンディピティいう言葉は、以前脳医学の本で聞いた言葉。「何かを探しているときに、価値ある何か別のものを見つける能力」を示す意味だが、この言葉の語源はセイロンの古名セレンディップから来ている。この言葉はペルシアの御伽噺「セレンディップの三人の王子達」からヒントを得た18世紀英作家ホレス・ウォルポールが創造した言葉なのだ。「2001年宇宙の旅」の原作作家として知られるアーサー・C・クラークはNASAの助言者でもあったが、彼はコロンボに居を構え多くの著作を書いた。セイロンは考え様によってはアメリカの宇宙開発にまで影響を与えている。

紅茶
セイロンといえば紅茶ということになるが、この紅茶は「飲み手に努力を強いる飲み物」だという。葉が開くまで言葉を出さず観察する。相手の心を言葉でなく、視覚で読み取る。そういった視覚の文化が発達している。紅茶から見たスリランカ人・・面白い話だ。

漱石とスリランカカレー
次に面白かったのが「漱石とスリランカとカレー」の関係だ。漱石はロンドンに向かう旅路でスリランカに立ち寄っている。しかも上陸してカレーを食しているのだ。そのカレー屋さんが現在のコロンボ中心部フォートのアパーチャム通りにある「グローブホテル」ということらしい。
ライスカレーは漱石以前に日本に持ち込まれているが、これを有名にさせたのは漱石の「三四郎」でのライスカレーなのだという。しかもこのライスカレーのルーツとなるカレーであり、コロンボで漱石が食したカレーが何かを突き止めた人がいる!東京四谷でシンハラ料理専門店「トモカ」を営む丹野富雄さん。長年の研究から漱石の食したライスカレーの源流を探し出した。それが「鶏肉のマリガトニー」いわゆるスープ式カレーなのだ。丹野氏はシンハラ語もマスターしているというスリランカの専門家でもある。(これは良い話を聞いた!いってみよう!)

カラス
スリランカには日本よりひとまわり小さいカラスが多いが、このカラスの意味は日本と少し違うようだ。スリランカでは家の前でカラスが鳴くのは「来客の合図」、女児が生まれたときのカラスの飛来は吉兆で、男児は凶。だから女児が生まれた家ではカラスにご馳走する。

月と人間
スリランカでは満月の日は休日になる。酒類も販売しないのだそうな。「スリランカ時間」は月と共にある。満月の日は精神のバランスを崩しやすく、事件事故がおきやすいのだそうだ。しかしこれには科学的な裏づけもある。人間の体は80%が水分でできていて、月の重力の影響を必ずうける。海の満ち干があるように人間にもそれがあるのだ。女性の生理サイクルは月の運行周期と同じ29.5日で、健康な女性は新月から満月にかけての上弦の期間にメンスが始まる。こういった「月と共にいきる」スリランカの人々の健康を支えてきたのがアーユルヴェーダという伝承医学。南アジアの漢方医学といっていいのだろう。なんといってもここでも月と体の関係が主軸にあるのが特徴だ。

仏教
スリランカは乞食に寛容だ。仏教国という色合いがとても強い。日本では南方仏教を小乗仏教というが、これは実は差別語なのだそうだ。実際見て思ったのだがこの国の仏教はヒンズーが混ざっている。何か寛容でおおらかな印象をうけたが、カーストと混ざることで差別の温床ともなっているとのこと・・これは住んでみないとわからないな。

おしん
スリランカでは「日本」といえば「おしん」。実際親日文学もかなりのものらしく、シンハラ文学は大抵親日的な内容になっているらしい。中でも有名なのが「マラギ・アット(亡き人)」という小説。日本人女性とスリランカ人画家との悲劇なのだが、これも作者は川端康成から大きな影響を受けている。

歴史的悲劇
反タミル民族暴動はスリランカ現代史の大事件。1983年タミル系のゲリラがイスラム開放を叫んでテロを起こし、それが引き金になってシンハラ人によるタミル人の虐殺が拡大した。今は平和なスリランカだがつい30年前そういうことが展開していたわけだ。今でも教育の現場ではシンハラ人=アーリア人、タミル人=ドラヴィダ人という神話が再生産されている。根強い差別は消えていない。とはいっても町にいるとそんなことは全く感じられない。たぶん地方都市などにいってタミル人に会ってみないとわからない世界なのかもしれない。

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