【過去作】自転車と猫と銀河鉄道【垂れ流す】
自転車と猫と銀河鉄道
パラパラとノートが風でめくれている。
どうやらここは風が吹く星らしい。
銀河鉄道の3両目。喫煙車両の窓際で女が煙草を吹かしている。どういう仕組みかはよくわからないが、換気扇の様な装置が作動し、煙草の煙は車外へ吸い込まれていった。銀河系を地球時間の1時間ほど前に通過し、現在スペーススペース2区を銀河鉄道が疾走している。昔は線路が敷かれていたそうだが、現在は何もない空間を電波的な何かの働きにより運行している。宇宙旅行も以前と比べると格段に行きやすくなった。今現在では「広がりつづける宇宙の端を見に行こうツアー」が人気だというから、宇宙ステーションで宇宙飛行士が作業を行なっていた頃はどうやらとても昔の話のようだ。
ふと車窓から宇宙空間を眺めると、自転車が走っていた。近年の科学の発達と、技術開発能力の上昇は、重力に縛られた人間たちを宇宙に引き上げることに成功した。昨今の宇宙服は動きやすく、かつオシャレに。季節が存在しないにも関わらず、季節に合わせたコーディネートも可能で、新色が登場しようものならネット販売が殺到し、配達業者が宇宙空間を飛びまわらなければいけなくなる。余談ではあるが、ネット販売が対応する限度であるスペーススペース4区からの注文もあるわけなので、下手をすれば往復で1年以上かかることもある。急ピッチで運送会社の各スペース毎の支店も展開され始めた所だ。
ところで先ほどの自転車、カゴには宇宙服を着た猫が紐で繋がれていた。猫は紐で繋がれているから自転車に引っ張られながらも、宇宙遊泳を楽しんでおり、尻尾をピンと立たせたまま、クルクルと回転している。小さな男の子だろうか?なかなかどうしてとても急いでいるようだ。猫が先ほどよりも激しくポヨンポヨンと跳ねている。女は何をそんなに急いでいるのかなーとぼんやりと目で追う。その時銀河鉄道はスペーススペース3区の入り口であるポラリス駅に到着した。
チカチカと小さな星が電灯になっている。立派な宇宙ステーションの側面に音も立てずに列車が滑らかに停止した。プシュンと音がなり宇宙ステーションと列車がドッキングし、ドヤドヤと乗客が乗り降りを始めた。
私は一体どこに向かっているのだろうか。
女はとても疲れていた。心身ともに病に侵され今では眠ることもできず、朝も夕もわからず、時間さえ把握できなくなってきた。地球にいた頃は若手キャリアウーマンとして世界中、宇宙中を飛び回り富と名声を手に入れ何不自由ない暮らしをしていた。しかしある時、地球と宇宙を行ったり来たりしているうちに、女の体は重度の重力症にかかっていた。多くの人間がこの病に倒れ、今や銀河系だけでなく宇宙全体の不治の病とされるものだった。気圧の変化や酸素濃度云々といった理由だけでなく、地上と宇宙の根本的な環境の違いが体の負担となり、心身共に蝕まれてしまう。
その診断を聞いた時は愕然としたが、いつか自分の身にも舞い込んでくるであろうと思っていた。それをきっかけに仕事を辞め、家を売り、お気に入りの宇宙服と最低限の荷物だけをまとめて、行くあてもない旅を始めた。むしろそうするしかなかった。どれだけ科学が進歩しても、人間の寿命はさほど変化はない。余生をこの広い宇宙で迎えよう。そう考えたのだった。幸い宇宙は広大で広がり続ける。今もなお銀河鉄道に乗り続けていたとしても、果てにたどり着けるという保証はどこにもない。行くあてもない片道切符を買い、これまで持っていた定期入れはソッと銀河鉄道のダクトから宇宙空間に捨て去ってしまった。
物思いに耽りながら様々な様相の宇宙人達の往来を見つめていた。車掌の笛の音が鳴り響きドアが閉まろうとした時、先程の少年がバタバタと乗り込んできた。銀河鉄道内は人工の重力装置があるため紐に繋がれた猫がリンゴが地面に落ちる時と同じように地に落ち、フギャリと短く悲鳴をあげる。
少年は小さな宇宙服を脱ぎ捨て、猫の宇宙服を優しく脱がせる。無重力酔いをしているのか猫の足取りはおぼつかない。ソッと猫を抱き上げ、紐をしっかりと握る。スペーススペース3区には入ったものの、ここからしばらくは宇宙の谷と呼ばれる特に何もない空間を進んでいく。乗客もまばらで銀河鉄道には空席が目立っていた。しかし、そんな中、少年は女が座るボックス席の背もたれを倒し相対する形で席についた。もちろん猫は少年の隣に座り、酔いが覚めるまで眠りますよと言わんばかりの態度だった。
女が目をパチクリとさせる。なぜこの席に座るのか。なぜ猫を紐で繋いでいるのか。なぜ少年が銀河鉄道にのっているのか。わけもわからず女は少年を見つめていた。少年は頰を紅潮させながらも八重歯を覗かせながらニッと笑顔を作る。つられて女も笑顔を作った。そして猫は尻尾パタパタと座席に打ちつけ自分の存在をアピールする。
「おばさん窓から僕のこと見てたでしょ。」
少年の予想だにしない言葉に女はただただ驚いた。おばさんと言われたことにもすぐには気づかないほどに。
「そりゃあ見るわよ。小さな男の子が自転車漕いで、猫をポヨンポヨンさせているんだもの。あと私はまだおばさんではないわ。お姉さん。わかる?お姉さん。」
少年は笑みを浮かべている。女の話を聞きながらも何も答えず、窓に両手をつけて、鼻息で車窓を曇らせていた。それからというもの特に話をすることもなくただただ時間だけがすぎていく。宇宙空間では様々な事象が起こっていた。オーロラのようなプラズマが上下左右に青白い様相ではためき、流星群が銀河鉄道の横スレスレを流れ燃え尽きていく。はるか彼方では白色彗星が爆発し、新しい星が生まれていた。人間と同じように、星々もまた生まれては生き、死んでいく。惑星も実は、人間とさほど変わることもないのかもしれない。
しばらくそうしていると、猫が目を覚ました。グイっと伸びをする。白猫の赤い首輪には、黒猫の鈴付きのストラップのついた自転車の鍵がオシャレにぶら下がっていた。
「君はなぜ銀河鉄道に?」
女が問う。
「なんとなくだよ!」
「にゃ!」
猫が少年に寄り添い横になる。どうやら無重力酔いから回復したようで、少年の横から得意げに女を見ていた。女は少年と猫を交互に見、笑みを浮かべる。重力症に侵され、絶望の最中におり、誰の言葉も胸に響くことは無かった。しかし、屈託のない少年の笑顔と言葉、猫の存在が女の心を溶かしていく。
「どこまで、いくの?」
「知らない!どこまでも、行けるところまで!僕が死ぬまでこの列車とどこまでも!」
「にゃ、にゃ、にゃー!」
線路も敷かれていない銀河鉄道で、行く場所も決めていない人間2人と猫1匹。この誰もが宇宙の最果てを見ることはおそらくできない。女に関しては生きる事を諦めて、死ぬ事に向かって乗車をした。宇宙の果てとはどれほどまでに暗いのだろうかと。
しかし、今の同席者はどうだろう。少年は息を弾ませながら、星と星の間を自転車で駆け抜け、銀河鉄道に飛び乗ってきた。友達と一緒に。知らないことへの好奇心と、宇宙の果てにはどんな楽しい事が待っているのだろうと、心を躍らせている。
どうせ私も行く先は宇宙の果てなんだ。少年と最果てを見に行こう。銀河鉄道にのって。
「ねぇ君、お姉さんに名前を教えて?あと君のお友達の名前も」
「人に名前を聞く前に自分の名前をいうもんじゃない?」
少年は八重歯を覗かせて笑った。
猫もしっぽをクルリと震わせる。
「そうね、私の名前は…」
その時だった。銀河鉄道のすぐ横を大きな、とても大きな流星が駆け抜ける。辺り一面が光の粒子に包まれた。それに続いて数々の星が降り注ぎ始める。鉄道は滑らかに、静かに、星々を避けながら進む。揺りかごに揺られているかのように。
無数の流星が降り注ぎ、地球でいうところの雨のように。ただただ美しく、音もなく降り注ぎ続ける。
少年は私の名前に興味を失ったのか再び窓に張り付いて感嘆の声をあげる。少年の肩に乗った猫はせわしなく流星の流れを目で追っていた。
「私の名前はコスモス。」
女が名を名乗ると少年はチラリとコスモスを見つめる。
「僕の名前はハッブル。コイツはペルセウス。」
コスモスとハッブルとペルセウス。
コスモスは一瞬驚いたが、すぐに笑顔を浮かべた。
ハッブルはペルセウスを小脇に抱えて、コスモスに手を差し出し、握手をする。
「よろしくね、コスモス。長い旅になりそうだから。」
「よろしくハッブル。ペルセウスもよろしくね。」
「にゃにゃ、にゃ!」
2人と1匹の永い永い旅が今始まった。最果てを探す旅。
乾いた心を潤す為に。
心を乾かさない為に。
先程の流星群は上がり宇宙空間は七色に輝いていた。
銀河鉄道のアナウンスが響く。
「当鉄道は順調に宇宙の旅をつづけておりまぁす。終点は最果て。最果てー。末長い旅になりますがぁ皆様どうぞお付き合いをお願いしまぁす。」
風によりパラパラとめくれていノートは、2人と1匹が最果てにたどり着いた時のページを開いていた。
「ハッブル?宇宙がまた広がったらしいわ?」
「なんて事だ!さっき新しい自転車が届いたばかりなのに!」
ハッブルが自転車を漕ぎ、コスモスがその後ろに乗る。ペルセウスはコスモスの膝の上で喉を鳴らしていた。風もない宇宙空間を疾走する。
「がんばれがんばれ!」
背丈が大きくなった青年ハッブルが漕ぐ自転車を銀河鉄道が2人を追い越していった。
また新しい旅が始まる。
次の最果てはどんなところだろうか?
絶望の中捨てた定期入れ。希望の象徴である自転車。ペルセウスの首飾り。
乾かぬように潤そう。
2人と1匹はいきようようと声をあげ銀河鉄道に乗り込んでいく。
コスモスとハッブルが繋いだ手に、ペルセウスが器用に引っかかっていた。
おわり。
©yasu2023
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