【知られざるアーティストの記憶】第25話 宗次郎とヒッピーと、駅前のカフェに集う者たち
第4章 入院3クール目と4クール目の間
第25話 宗次郎とヒッピーと、駅前のカフェに集う者たち
オカリナ奏者の宗次郎が、里山で自然農を営みながら音楽活動を続けているということを、NHKから流れるオカリナの音色に魅せられていた子どもの頃のマリは知る由もなかった。一方、自らの生活基盤を自然農に立脚させようと20代のときに一念発起した彼の生き方の方向性は、宗次郎の生き方と酷似していた。年齢は宗次郎が彼の一学年下になる。オカリナの音色だけをひたすらに追求する宗次郎の生き方は絵に描いたようなアーティストのもので、その魂は彼の魂と全く同じ形をしているように思える。
1986年、NHKの「大黄河」で宗次郎が世に現れたとき、33歳のワダイクミはおそらく人生の夢が全て破れ去ったところにいた。宗次郎の奏でるオカリナの音色は、10歳にも満たないマリの心をわけもなく魅了していた。
宗次郎の生き方に共振する彼と、その奏でる魂の音に共鳴するマリ。それは、彼とマリの魂が同質であることを知るのに十分であり、これまでに発見したいくつもの二人の共通するキーワードをひと繋ぎにした。
そして、彼の思想と気質を表す「ヒッピー」というキーワードに、マリは思い当たることがあった。彼とマリの暮らす町には、地域通貨を基盤にして人々が助け合う緩いコミュニティーが形成されていた。そのコミュニティーの拠点として、駅前にとても小さなカフェがあった。マリが彼の郷里であるF町のパン屋さんのパンを定期購入していた「Imakokoカフェ」だった。地域通貨の会員であるか否かに関わらず、そのカフェに集う人たちは、どことなく、「長いものに巻かれず、本当のことを自分で調べ、学び、考えようとする気質の人たち」が多かった。決して特定の思想や宗教を持つ集まりなのではなく、信じるものは一人一人がちょっとずつ違っていた。その精神的共通性なり連帯感は、外からはあまり見えないが、内部の人間にはなんとなく「ある」とわかるような類のものであった。あるとき、その仲間の一人である友人が、
「私たちってほら、ネオヒッピーだからね。」
と、さらっと明るく言ってのけた。マリは「それ」にぴったりの名前が与えられて、とてもすっきりとした心持ちになったのだった。
彼の思想はヒッピーで、マリは実はネオヒッピーの仲間だったのかもしれなかった。マリは、いつか彼がImakokoカフェを訪れたら、彼を理解する人たちがそこにはたくさんいるのに、と感じた。
案の定彼と会えなかった土日、咳が酷くて受診した三男のRSウイルスをマリが彼に媒介したかもしれないことを心配して過ごした。その日、彼はよく掃除をしていた。梅雨が明けた快晴の夏日に、エアコンのない部屋をガラス戸で閉め切って掃除をする彼の、上半身裸の姿が何度もガラス戸に透けて見えた。一度、彼がガラス戸を開けて、庭で作業している弟のマサちゃんに何か指示を出したときには、マリは遠目ながら彼の上半身を眺める幸運を得た。筋肉質で引き締まり、十分にかっこいいボディだとマリは思った。覗き見のつもりはなく、向こうが気が付けば手を振ろうと自宅の庭から堂々と見ていたのだが、彼らは一向にこちらの視線には気がつかなかった。兄弟のやり取りや姿は、どことなく滑稽でかわいらしかった。
マリは彼に手紙を書いた。
▽Imakokoカフェについて書いた番外記事
▽宗次郎「大黄河」のテーマ
ああ、イクミさんがいる……。
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