思春期の記憶
「お前は気持ち悪い、いやらしい子供やったわ。」
と昔の話をしている時に父はわたしに言い放った。
わたしはもう今年で41歳になった。
12歳だった当時、まだブラジャーを必要としなかったほどひょろひょろと貧弱な体つきをした子供だった。
中学受験に失敗して公立の中学校に通わざるを得なくなったわたしは、父、母、弟の家族全員で茂みや道路脇にしばしば動物が出没するような緑豊かなド田舎に引っ越してきた。
ド田舎の中でもニュータウンと銘打った中途半端に駅から遠く立地は悪いが広めな土地を父が昔に購入していて、そこに家を建てたのだ。
父は当時私立の高校で教諭をしていた。
母も中学教諭を経て教育に携わる仕事をしていた。
弟は2歳年下の小学生だ。
その立地の悪い土地に建てたのは、父方の祖父母を呼び寄せることを見越した無駄にだだっ広い家だった。
ピカピカのシステムキッチンが1階にも2階にもある。
「最初から全ての家具を置く場所は決まっているのですよ」
と言わんばかりに、造り付けの棚がたくさんある。リビングから離れて個人の部屋がいくつかある。
わたしが全然続かなかった習い事のひとつ、疎ましいピアノがわたしの部屋には置いてあった。
家族全員がおもに2階で生活するようにつくられていて、1階は普段あまり人がいないのでいつも薄暗くて少しだけ気味が悪かった。
ド田舎に引っ越してきたので都心に職場のある父と母の通勤時間は3倍増ほどになった。2人とも片道2時間以上。
なぜそれが長年にわたり継続が可能だと思ったのか?
いまだに不明だ。
父と母は仕事のストレスや疲れに加えて通勤の疲れもあり、毎日イライラしていて常に怒鳴り合い言い争いをしていた。
父は酒に弱いのにたくさんの酒を浴びるように飲み、母やわたしに事ある毎に暴力をふるったり物を投げて壊したりしていた。
弟はその間隠れるように自室にこもったり殴られないように身をまもっていた。
母の車に急いで飛び乗って子供のわたしと弟はほとんど何も持たず家出することもあった。
でも父も母も職場に行けば「先生」と呼ばれる立場。
思えばあの頃にはとっくに家庭なんてものは壊れていた。
地元の中学校に通い始めたわたしは事あるごとに上級生に目を付けられ、呼び出されたりしていた。
内容としては
「街から来たからって調子に乗っている」
「えらそうだ」
など、本当にくだらないものばかりだったので毎日辟易していた。
仲の良い子は数人いたが、仲良しグループのようなものに入らなかったのが原因なのか同級生とも概ねうまくいかなかった。
(ほんとうはこんな学校に来たくなかった)
(こんなつまらない田舎にいたくない)
(わたしはここにいる子たちとは仲良くしたくない)
そんな思いを常に抱えていた。
中学生活は楽しくなかった。満たされない毎日だった。
このへんの時期が事の起り。