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#31 「大丈夫」「大丈夫」「大丈夫」おまじないを唱えていた
おまじないを思い出した。
離婚したいことを告げられ、受容できない。
なんとか同居しているが、心が蝕まれ、笑えなくなる。
感情に蓋をして、嘘の笑顔を顔に張り付ける。
そんなことを続けていたら、同居していくことを身体が拒否し、体調不良が起こるようになった。
当時は無職で、二人を子育てしていた。幼稚園児二人。
別居を始めるが、先の未来が不安で覆われていた。
仕事を復帰して、一人で息子たちを育てていけるのか。
仕事と家事に育児を両立できるのか。
不安で、仕方なかった。
そんな中、毎日毎日、心の中で、声に出して、唱えていた。
「大丈夫」「大丈夫」「大丈夫」「大丈夫」
本当、何の根拠も自信もなかったけれど、自分に自分でエールを送り続けていた。
大丈夫。
未来の私は大丈夫。
今の私も大丈夫。
「大丈夫」のおまじないを唱え続けていないと、しんどくて辛すぎて涙が溢れてきて、胸がつぶれそうで、立っていられなかった。死にたいと思ったし、このまま事故に遭えばいいのに、と願ったし、でも息子たち二人を残して逝くわけにはいかない、と冷静に考える自分もいたし…
つまり、精神がギリギリのところを日々暮らしていたんだなあ、と振り返る。
そんな時に、自分で自分を信じ続けたことが、今の私につながっている。
そんなことを、Voicy ↓(このお二人大好き♡)を聴いて思い出した。
離婚をするまでに、別居・話し合い・気持ちの整理に5年かかった
長い人生の中で
「たった5年」「5年もの長い時間」と相反する気持ちが渦巻く
いろいろな気持ちで振り返ることができるのは、シングルになったことを自分でも受け入れることができたからなのかもしれない。
離婚した初めの頃は、(いや別居した当初、別居の間中ずーっとか…)
世間体、周りのお父さんがいることへの羨ましさ、悔しさ、どうしてこんなことになったのか、納得がいかない気持ち、とかいろいろな気持ちが溢れ出た。
その気持ちたちに、少しずつ言葉を乗せて、外へ出して、消化することができるようになって、今の自分を受け入れられるようになった。
だから、息子たちが学校に行かないことを選択している、この期間も、きっと何年か先に振り返れば、大きな学びになっているんだろうなあ、と思う。
・穴に落ちて🕳️、穴の中からしか見えない世界がある
・一度マイノリティになると違う景色が見える、広がっている
・できれば若いうちに
・いろんなことを感じる
・人生いろいろ起こるもの 前途多難の言葉が頭に浮かんだ。どうしてだろう?
息子たちには
・好きなものを見つける力
・「ありがとう」と相手に感謝する心
・困難があっても、立ち直ることができる心の強さ
・「助けて」と相手に自分の弱さを伝えられる強さ
を持って欲しい、と願う。
大丈夫
大丈夫
大丈夫
今は、つらいことも、苦しいこともある。
でも、人生は、晴れの日もあれば、曇りの日も、雨の日もある。
どんなときも朝が来て、太陽が昇るから。
少しずつ少しずつ、歩んでいきたい。