見出し画像

西島大介インタビュー:カードゲーム「すべてがちょっとずつ優しい世界」のセカイ

-「すべてがちょっとずつ優しい世界」について、教えてください。

 こんにちは、マンガ家の西島大介です。僕のマンガが原作となったカードゲーム「すべてがちょっとずつ優しい世界」がゲームマーケット2021春で発売されることになりました。

 原作マンガは「くらやみ村」という夜が明けないところ、真っ暗で音もほとんどなくて、静かな離島のような村があってですね、そこの暮らしを静かに描いく、絵本のような作品です。
 ストーリーとしては「くらやみ村」で穏やかに暮らしている人たちのところに、離れたところから「街の人」がやってきて、「ひかりの木」という光を発する人工的な不思議な植物のようなものを誘致しませんかという話をする。それをすることで村が潤ったり、不便なことが便利になったり、お客さんが増えたりするんだけど、平穏な「くらやみ村」は変化してしまう。そのどちらを取るのかということを静かに問いかける物語ですね。全体的に悲しみに満ちて、わびしさもあります。絵は優しいタッチなんですけど、現実社会を照らし出したような作品。僕のマンガはベトナムを舞台にした超絶アクションとか、派手というか、残酷で露悪的な作品が多かったんですけど、この「すべてがちょっとずつ優しい世界」だけはちょっと変わっていて、とても静かで童話的で寓話的な、静寂だけがひたすら描かれるというマンガです。 
 『モーニング・ツー』という講談社の雑誌に東日本大震災直後に連載をさせてもらっていました。今は電子、紙ともに絶版です。普通マンガ作品を出すならドンドン売れていけって誰もが思うはずだけど、この作品だけはそんな感情にならず・・・。売れないほうがいいんじゃないか、って考えも大事かもしれないと。この作品のテーマに即して考えていました。読めない状態は良くないのですが。
 その一方でこのマンガに出てくるキャラクターは、可愛らしく、僕の音楽活動や美術の展示活動とかにも登場して結びついてますし、普通のマンガの枠ではない広がりがあります。このゲームもそうだと思います。

-カードゲーム「すべてがちょっとずつ優しい世界」の企画は、ゲームデザイナーの新澤大樹さんなどとチームで制作していましたが、「ゲームを作る」というプロジェクトはいかがでしたか?
 
 マンガは基本的に一人で読んで、時間も読者のスピードでコントロールできて、伝えたいメッセージが明確で、始まりと終わりが明確にあるものです。
 ゲームデザイナーという存在を最初はよく理解してなくて、ゲームには二人のデザイナーがいますよね。パッケージや内容物のデザインと、ゲームルールそれ自体のデザイン。「デザイナー」と呼ばれる人がゲームのルールの考案者。また、既にあるゲームに物語やヴィジュアルを与える「フレーバー」というものがボードゲームの世界には存在するということを知って。ライトノベルとその絵師の関係なのか、分からないですけど。
 『すべてがちょっとずつ優しい世界』はマンガの内容はさておき、フレーバーとしてはかわいいキャラクターが童話っぽい静かなイラストで、様々なプロダクトの素材として向いてるなと思ったんですけど、それをゲームにするっていうことは考えていなかったです。仕上がったゲームをプレイすると、明らかに原作を深くご理解していただいているんだなと、感じました。ゲームなので、そこにマンガのような明確な物語の「始まり」と「展開」と「終わり」はないんですけど、ゲーム内で発生するやり取りを解釈すると原作のシーンが浮かび上がる、そういう現象が発生していると感じました。

 ゲームシステムは、ゲームデザイナーの新澤さんの頭の中にいくつもあるものの一つで、マンガで例えるとアイディアとかプロットのようなものだと思うんですけど、そのふわふわしたものに僕の作品がくっついて、たぶんそれぞれではなしえなかった不思議な面白味が発生するのがゲームとゲーム原作の醍醐味なんだと思います。たぶんアニメ化になると、マンガとアニメは表現的には近いので、「あそこが違う」ってことを、よく読者も作者も言い始めますよね。
 でもゲームとマンガはだいぶ違っていて、不思議と違和感を感じない。新澤さんが寄せてくれてるっていうのもあると思うんですけど、原作が映像化されることよりも、違和感が無いんじゃないかと思います。
 ボードゲームを全く知らないマンガだけ知ってる人がやったらどうなるか? マンガ知らないボードゲームが好きな人がやったら遊んだらどうなるか? 「ひかりの木」ってなにこれ、社会批判なの? いや「ひかりの木」かっこいいから欲しいんだけど! そんな物語を外れた展開もあるかもしれない。とにかく解釈の広がりを感じますね。

 ボードゲームが面白いなって思ったのは、電子書籍を自分で刊行するようになってからです。電子書籍の逆にあるものとして、それは紙の本ではなくボードゲームかもしれないなと。電子書籍は、空間を必要とせず、安価に読めるデータ。でもボードゲームは大きくてかさばって、値段も自由につけられる。価格も大きさも自由で、サイズや価格に規格のあるコミックスよりはるかに自由度が高い。これは面白いと思って、最初は自分で作ろうとしたんです。自作を原作とした対戦バトルで『ディエンビエンフー・カードバトル(仮)』。テストバージョンを作って、息子と対戦をして、微調整を繰り返したりもしました。
 でも、原作者として完全にストーリー側に思考が寄っちゃってるから、今思うと空白がない設計で。例えば『ドラゴンボール』でゲームを作るとして、星を描いたカードを7枚集めたら願いが叶ってゲーム終了みたいなことを、原作目線ではしがちだと思います。だってそういうお話だもん、っていう。たぶん原作者が作るとそういう感じになっちゃう。自分のマンガ世界をそのままゲーム化しようとしてしまう。それはあんまり面白くないんだなってことを、今回の『すべてがちょっとずつ優しい世界』のゲームが完成して痛感しました。
 原作を知らなくても、遊んでる人同士がお互いに探りあってにじり寄ってゲームをすると、あたかも必然性がそこにあるかのような現象がプレイヤーによって立ち上がる。これは不思議な体験です。
 なので、自力でゲーム開発をすることはとりあえず止めました。開発中止です。物語を支配できるのがマンガの強みだけど、もっと曖昧で偶発性があって、それが面白いのがボードゲームなんだなと。それを学びましたね。

-最後にメッセージをお願いします

 ゲームデザイナーの新澤さんとアートワークの山中さんに感謝です。ゲームのパッケージ・デザインは本と全然違うじゃないですか。カードの点数は膨大だし、きまった規格もない。書籍のような表紙があって、カバーがあって本文があって、奥付があってみたいなものがない。それぞれの人たちが、クリエイティブをフルに発揮しないと形にならないのがボードゲームだと思っています。
 原作を読んだことがある人はぜひぜひ、面白い追体験ができるのでなかなかない経験ができるからぜひ遊んでほしいです。フレーバーとしてこの絵かわいいなって方は、あまり原作を調べすぎず直感に頼って遊んでいただければなと。
 マンガ作品は絶版になってるので、そういった作品がこういった形でよみがえるというか息を吹き返すということはあまりないことです。できればマンガもちゃんと読んで貰える状況は整えたいなおもうので、ここから広げていけたらいいなと考えています。
 
(おわり)

双子のライオン堂書店のWEBサイトにて、カードゲーム「すべてがちょっとずつ優しい世界」を販売中
https://liondo.thebase.in/items/36600524


いいなと思ったら応援しよう!