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【続いてる写経 1371日め】『スウィート・ヒアアフター』(よしもとばななさん)をふたたび読んで

世の中の混乱に胸を痛めてばかりではいかぬ、とは思いつつもなかなか浮上できない状態。

そんな中、ちょうど図書館で借りていた、よしもとばななさんの『はーばーらいと』を読みました。
これはいわゆる”宗教二世”がテーマの話でした。親とともに新興宗教団体のコミュニティで暮らしていた女の子(ひばり)が、幼なじみ(つばさ)の助けを得て、脱出するまでの物語。

ばななさん節で描かれる登場人物というのは、儚げなのだけど、芯が強くてしなやかなのであります。
そんなお話を読んでいたら、何となく元気が出てきました。

ばななさんの小説はあらかた読んでいると思いますが、中でも印象的だったのは、東日本大震災の後に書かれた『スウィート・ヒアアフター』でした。

思い出したら猛烈に再読したくなり、入手。一気読み。
あらすじは以下。

大きな自動車事故に遭い、腹に棒が刺さりながらも死の淵から生還した小夜子。恋人を事故で喪い、体には力が入らず、魂も抜けてしまった。私が代わりに死ねたらよかったのに、という生き残りの重みを抱えながら暮らしている……。惨劇にあっても消えない“命の輝き"と“日常の力"を描き、私たちの不安で苦しい心を静かに満たす、再生の物語。

https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B9%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%92%E3%82%A2%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%BF%E3%83%BC-%E5%B9%BB%E5%86%AC%E8%88%8E%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%88%E3%81%97%E3%82%82%E3%81%A8-%E3%81%B0%E3%81%AA%E3%81%AA/dp/4344420756

小夜子が生死の境を彷徨ったことで、改めて発見する”生きている”こと。その表現が刺さります。

今の平穏だって必ずうつろう、永遠ではないものだということを知っているのは、決して悪い感じではなかった。命の炎が自分の中で燃えているのがわかった。それはちょうどおへそのちょっと下あたりで、ふつふつとお湯ばわくみたいに。
なんだか知らないけど、私は生きている、だから生きよう、生きてやる、そう思っていたから、鎮魂に沈むだけの世界にはいなかった。

『スウィート・ヒアアフター』よしもとばなな・著より

改めて読むと、ばななさんが小夜子の感覚や思いを通じて、誠意をもって生きている人たちを励まそうとしていたのだなあと、感じました。

この世はなんて美しい、激しく緑が伸びる夏もあれば、すぐにあんなに寒く美しい別世界のような季節がまためぐってきて、あの椿の赤や落ち葉の黄色を眺めることができる。人間はいつでも巨大な劇場にいるみたいなものだと思う。心の中のきれいなエネルギーを世界に返すことが観劇のチケット代だ。

同上

うつろう世の中にあって、美しいものやきれいなものに目を向けて生きていくこと。

生きている人ができる最良のことは、これだろうと思いました。

”ものがたり”をなぜ人が必要とするのか。
それは”ものがたり”が最高のカタルシスをくれるものだから

しみじみと感じました。

ばななさん、ありがとうございます。


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