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【続いてる写経 1062日め】〜舞台鑑賞前の復習『アンナ・カレーニナ』

「幸せな家族はどれもみな似ているが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」

有名な一説で始まる、ロシア文学普及の名作『アンナ・カレーニナ』。
この舞台を観に行くため、一年ほど前に読んでいた同作を復習。

久しぶりに舞台を観に行きたくなった理由は主に2つ。

1つ目は主演
今や舞台女優として、他同世代では右に出るものがいないといわれる、宮沢りえさんがアンナ役

”りえちゃん”と呼んでいた時代が懐かしい、もう大ベテランなのに舞台で拝見する機会が持てなかった。

その、りえさんが文学界きってのファムファタールを演じる。
これはきっとハマリ役になるに違いない。期待値大。

2つ目は演出
アンナだけでなく、もう1人の主役リョーヴィンとの対比が描かれる点。

今回の舞台の演出は、イギリスの気鋭の演出家フィリップ・ブリーンが新解釈だそうで、

アンナ、ヴロンスキー、カレーニンの三角関係を中心に描かれることが多い作品ですが、今回のフィリップ版では、破滅に向かうアンナの「愛」と、未来への希望を感じさせるリョーヴィンとキティの「純愛」とを対照的に描きます
https://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/23_anna/

『アンナ・カレーニナ』は、過去何度も映画化されていますが、どれもアンナの恋愛にしか焦点が当たっていないようです。

小説を読んでみたら、破滅的恋愛が主題ではないのです。

アンナと、地主貴族のリョーヴィン、主役2人を通じて、当時の貴族社会、貴族の精神性、男女で違うモラル、宗教上の問題などなどを描き、筆者のトルストイが社会的問題を投げかけて、種々批判している感じ。

例えば、リョーヴィンは地主貴族であるので、地主として農場経営をしているのですけど、農奴から解放された農民をどう扱っていくか、悶々と悩んだりするのです。

経営者が従業員をどう育てるかって問題と同等に、貴族も悩んでいた。

貴族って優雅なイメージだけしかなかったのですけど、貴族が派手な生活を維持するために、お金に苦労する話も多々出てきます。
借金返済のために祖先から受け継いだ森林を売却するしないとか。

取り巻く人物の思惑の絡み合いも面白いのです。
恋愛だけでなく、とおっても”人間臭い”話、満載です

というわけで、舞台演出で、二方向からこの長尺のストーリーをどうぶった切っていくのか。
ワタシには全く想像がつかないので、楽しみなのです。

そして、上演は3時間45分

インド映画より長い…。

途中休憩は20分あるそうですが、長い!!

演者はもちろん、観る方も試される

『スラダン』から、一気に19世紀ロシアに頭を飛ばして臨みますわ。

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