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【続いてる写経 1785日め】”四国お遍路”が舞台の小説『慈雨』を読む
”四国八十八ヶ所お遍路”をネタとした小説がいくつかあるのを知りました。
その中の、ミステリー系を最初に読んでみました。
柚月裕子さんの『慈雨』。
警察官を定年退職し、妻と共に四国遍路の旅に出た神場。旅先で知った少女誘拐事件は、16年前に自らが捜査にあたった事件に酷似していた。手掛かりのない捜査状況に悩む後輩に協力しながら、神場の胸には過去の事件への悔恨があった。場所を隔て、時を経て、世代をまたぎ、織り成される物語。事件の真相、そして明らかになる事実とは。安易なジャンル分けを許さない、芳醇たる味わいのミステリー。
「お遍路くる人は、何か相当の理由があってきてますね」
と、ワタシが昨年お遍路に行った時のご先達さんは申しておりました。
確かにワタシも急死した伯母を弔うことが目的の一つでありましたし、「供養したい」思いがある方が、同行の方々も多かったです。
ですので、この小説の主人公・神場が、”警察官人生で関わった人々の供養”のために四国遍路に出ることにリアリティを感じました。
そして、神場が自身で解決しきれなかった事件と、今起きたばかりの事件との類似性が謎解きが主軸となってお話が展開していきます。
お遍路中に出会う人々や、お遍路中に思い出される過去のエピソードから、神場と同行する妻の人生の苦労、喜び、悲しみが明らかにされていくのです。
お遍路中の現在よりも、過去の精緻な描写がグッとくる。
主人公の人生もミステリー要素となっておりました。
お遍路の札所の話とかは、割と軽めなんですが、”四国遍路”が、人の生き死にや、人生を振り返る舞台装置として機能していて、安易な紀行ミステリーに走らない匙加減がいいなあと思いました。
警察の捜査に関する記述も細かく、殺人事件が起こるとこんな苦労をして操作してくれているのだなあとありがたみを感じたり。
逆に、捜査の進捗がはかばかしくなかったら、冤罪可能性あっても検挙するよなあ…とか思うところもありました。
いささか、刑事や警察官像が美化されすぎな気もしないでもないのですが、
主人公・神場の”真っ当に生きたいと願う人間像”は、あっぱれでした。
小説の中くらい、立派な人物像があってもいい。
ちなみに、話のキーとなるお遍路札所は第七十一番札所・弥谷寺。
なるほどなと、思いました。
ここはいかにも”あちらの世”とつながっていそうな場所なのです。
そして、弥谷寺の御詠歌が、良いアクセントにもなってました。
【弥谷寺・御詠歌】
あくにんとゆきつれなんも弥谷寺 ただかりそめも良きともぞよき
主人公が御朱印をもらうとき、僧侶にこの御詠歌の意味を教えてもらった話が出てきます。
巡礼をする者は、道中、いろいろな人と出会う。その者が善人であれ悪人であれ、同じ行の友なのだ、という意味だという。
が、蛇足ながら御詠歌の意味をあらためて調べたところ、
ここの”悪人”は、単純に”悪い人”ということではなかった様です。
あくにんとは身分のちがいを意味するとされ、「弥谷寺への険しい道中をともにすれば、たとえ身分の違いがあろうとも、みなよき友である」と詠ったものといわれます。
ま、解釈は色々あってもよろしいかと。