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【続いてる写経 1072日め】〜”書く”以前の心構え
今回の講義では、zoomのブレイクアウトルームを使って、グループごとに課題のディスカッションタイムがありました。
このディスカッションタイムが、個人的にはかなり苦痛でした…。
まず、
よく知らない人とのzoom越しでは、心理的な距離感が掴みにくい。
お互い意見が言いにくいのか、空白タイムが延々続いたり、
会話の端緒が掴めず、働きかけたつもりが、空ぶりに終わったり、
中には、全くとんちんかんな会話をする人もいました。
「人の話聞いてんのか?!」ってちょっとイラッとくるようなほど、
ズレた話がかえってくる。
えーい、一体何言いたいんじゃい?(怒)と何度か呆れたほど。
そして気づいたのです。
そのとんちんかんな会話をした人の、文章も壊滅的だったことに。
課題でチャットに並んだ文章で、どれがその人のものか、すぐわかってしまった…。
そもそも、お題として出された文章構文の書き方を、何度も無視して書いていました。
何度も、何度も注意されてるにも関わらず。
大丈夫??
なぜにこんなに話をきかず、論旨がめちゃくちゃな文章が書けるのだろうか?学びに来ているのでしょう?
察するに、”独りよがり”なのでしょう。
他者の話を聞かないから、出された構文にそった文章が書けない。
自分のことを伝える努力をしないから、論旨がはちゃめちゃになっている。
要は、「自己完結」しているのだと思われました。
文章を書くことが、思いや考えを「伝えて、反応してもらう」ための一手段であるのならば、
「伝えたい」という意志が最初にあるべきです。
これがない。
「伝えて反応してもらいたい」という意志がみられない…。
しかし、この方から学ぶところがあったのです。
「伝えて反応してもいたい」という意志こそが、言語能力上達のカギであることを。
例えば、言葉が通じない外国で四苦八苦しているうちに話せるようになったケースがこれにあたります。
日本人の女子をナンパしたいという外国人や、
憧れのスターと話をしたい、というのもこの意志ありきでしょう。
前回英語はめちゃくちゃできるのに、日本語がめちゃくちゃ下手なネイティブ日本の人の場合もそう。
その人は奥さんは外国の人でした。
きっと、相当「伝えて反応してもらいたい」訓練を積んだから、ご結婚まで至ったのだと思います。
もし彼が好きになった女性が日本人だったら、日本語でのコミュニケーション力向上に努めたかもしれません。
つまり、本人がどれだけ「伝えたい」そして「反応してもらいたい」と思っているか、これが大事。
この思いが文章を書く以前、語学を学ぶ以前に重要な要素だということを痛感しました。
きっと、その意志があれば、いくらでも努力するし、できるはず!!
以上、このような自説を一応書きましたが、
今回は、実はディスカッションがとっても苦痛だったって書きたかっただけです…。
正直、文章で頭悩ましているほうが楽だったなあ…。
ホント、これが苦行でしたわ。