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【続いてる写経 1456日め】秩父三社巡り、最後は宝登山神社
秩父三社を巡る旅、三峯神社様、秩父神社様ときて、最後は宝登山神社。
正式には”寳登山神社”と書くようです。
ご祭神は、
神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと)=神武天皇
大山祇神(おおやまづみのかみ):山の神様
火産霊神(ほむすびのかみ):火の神様
とは言え、神武天皇がこの地に来られたのではなく、日本武尊(ヤマトタケル)が東征の帰りに立ち寄って、火事に遭われた場所。
そのピンチに現れたのが、またしてもご眷属のお犬様。その神の使いのお犬様のお助けを得て、無事に山頂へ到達、神霊を祀られたことが創建の始まりだそう。
神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと)は、玉置神社様にもお祀りされてました。
玉置様では、神武天皇御自身が戦勝祈願されたようです。
”東征”といっても、目指す場所が違いました。
神武天皇は、日向の国(宮崎)をへて、宇佐、筑紫、安芸、吉備、難波、熊野を経て、大和(奈良)に到着、橿原の地に都を設置。
つまり、九州から見た東方、関西方面を指していたのです。
日本武尊の東征は、『古事記』と『日本書紀』で記述が違う模様。
まずは伊勢に立ち寄り、叔母の倭姫命から草薙剣(くさなぎのつるぎ)を授かって、討伐に行ったのは共通。
関東(武蔵、相模)に伝説が多数あるのは、この辺りまでは足跡があったということでしょうか。
倭姫様と言えば、天照大神様をお祀りする場所を長年探し求めた方でございます。ご本人も、その甥っ子のタケルさんもさすらう人生だったんだなあ…。
そんなわけで、宝登山神社は、奥宮が山頂にあるようです。
残念ながら行く時間はありませんでしたが、きっとそこも見晴らしがよく、ご神気豊かなところなのでしょう。
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本殿は、またもや豪華な彫り物群。
また家康公のご寄進か?と思ったら、かなり事情は複雑でした。
この御社殿は当社別当であった玉泉寺住職榮乗が心血を注ぎ途中明治維新の大激動の時代を乗り切り再建されたもので、限られた御浄財により当初計画を変更しつつも彫り物を配し、動植物等を描く天井絵をも飾るなどしてあります。ちなみに榮乗は明治を迎えると還俗して神主の資格をとり、寳登山神社の初代神主となりました。
明治維新を挟んで30年ほどの工事だったというから、さぞかし大変だったかと思われます。。
さらに玉泉寺(江戸時代まで、神社のご奉仕をしていたお寺)のご住職・榮乗さんが再建して、さらに明治以降は初代神職になったというから、この神社様への思い入れは相当なものだったのでしょう。
宝登山神社の神仏習合の名残は、現在にも伝わっているという記事ありました⇩
ここの彫刻のテーマは、中国の故事のようです。
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あと、日本国旗を神社で販売しているのを初めて目にしました。
さすが神武天皇をお祀りする神社。
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流石に三社めになると、早起きの疲労が出てきました・・。解説読む気力が…。
1日で巡る場所は、三社で限界ですね。
秩父には今までキャンプくらいしかご縁はありませんでしたけど、
秩父三社それぞれの特徴があり、物語性があり、地元の人の変わらぬ厚き信仰を感じるところでした。
神仏習合の形跡が、目に見えるのが興味深い。
しかも秩父、食べ物美味しい。
いいやん。いいやん。
特に三峯様は、次は奥の院に行きたいな〜。
と思って帰ってきてから方位調べたら、
今年は東京から秩父方面は、「凶方位」でした…。
うーん、大事をとってまた来年かなあ。