【続いてる写経 1389日め】東寺に上納の弓削島の塩から、能登の塩田を想う
日経新聞の文化欄に掲載されていたのは、
『東寺ゆかりの「弓削塩」復活』
という記事。執筆者は「弓削塩」を復活させたNPO法人弓削の荘・前理事長の村上律子さん。
東寺、揚浜式塩田と、この記事にはワタシの好奇心をくすぐる文言がたくさん。
興味深い内容をざっと以下に紹介。
瀬戸内海は昔から塩作りが盛んな地であり、愛媛県の弓削島も東寺の荘園として、鎌倉時代初期から約300年塩を上納してきたのだそう。
現在は塩作りは途絶えて久しく、「弓削塩」の存在も忘れ去られていたそう。
塩田復活の契機となったのは、1981年に当時は親王で、中世・瀬戸内の水運史を研究していた天皇陛下が弓削島に来訪したこと。
弓削塩の存在は、奈良時代から江戸初期までの約2万5千通におよぶ古文書群「東寺百合文書」に記録があり、その研究書を通じて製塩遺跡の発掘調査が行われ、揚浜式塩田跡や製塩土器が発見されていったそう。
製塩の製法は、発掘された土器などをヒントに試行錯誤し、同時に見つかった海藻のアマモをヒントに、アマモを使った藻塩作りに辿り着き、ついに完成させたそう。
現在は東寺に弓削島を奉納し、また地元の子供達や観光客向けにも、製塩体験を実施しているそう。
うむ、やってみたい。けどバリバリ平日じゃん…。
揚浜式塩田を復活させて作っているというのは実は凄いこと。
昭和の半ばに塩が専売特許制となったとき、自由に塩が作られることは禁止されたのです。
この貴重な製法で作られている塩は国内でもわずか。
そのうち一箇所が、能登の珠洲市だったのです。。
この塩田エリアは、今回の地震で海面が隆起してしまい、地形が変わってしまったといいます。
昨年このエリアを旅して、塩の作り方を見学していました。
本当に貴重な塩田が、このまま地震で失われてしまうのだろうか、、。
今、塩田のドキュメンタリー映画のチャリティ企画が広がっているとのこと。
予告編の様子に、地元で見学した施設を思い出し、泣けてきました。
近所で上映される機会があったら観に行きたいです…。