【続いてる写経 751日め】〜改めて日本地図をみる
改めて読んだ『天平の甍』。
文庫本には折り込みページで、鑑真和上の航海場所を示した地図があります。
改めて日本と中国大陸、朝鮮半島の位置関係を見ると、やっぱり九州はほかの大陸ととても近いことがわかります。
また、中国大陸に向かうには、日本の九州〜沖縄の島々伝いだったのですね。
留学僧を乗せた遣唐使船に同乗した人々のリストが面白くて、
規定の船の乗組員のほか、
「訳語(おさ)、主神(大宰府 に置かれた祭祀官の役職名)、医師(くすし)、陰陽師、画師、新羅訳語、奄美訳語、卜部など」
要は、祭祀官と占い師と通訳・・・
神様に祈ってもらいつつ、占いもしつつ、お祓いもしてたんですかね。
航海技術が未熟なうちは、重要な役割を担っていたのでしょう。
注目したいのは、新羅訳語はわかるとしても、奄美訳語、です。
実はワタシの義父の実家が奄美大島なので、奄美には何度も行ったことがあるのですが、現地の人、特にご高齢者同士の会話は、ホントまったく意味わかりませんでした。
「わんが〜で、〜したら・・」
とかしゃべってるんですけど、”わん”というのが”わたし”であることは流れからわかります。
が、他は外国語です。
昔は日本の本島側とも行き来もまだ少なくて、今よりもわけわからなかったんでしょうねえ・・・。
わざわざ連れて行ったということは。
奄美通詞はいても、沖縄のほうは書いてないのがまた謎ですね。
新羅や百済であれば、内海航海みたいなものなので、ここへの渡航はさほど困難ではなかったのでは?と思われます。
現に日本に仏教が伝わって間もない6世紀には、善信尼ら3名の尼さんが百済へ向かい、授戒法を授かったのだとか。
遣隋使よりも前の時代の話だというからびっくりですわ。
それでも、隋や唐を目指したのは、仏教はそちらで学ぶべきだと考えられていたんですかね。
この善信尼さんの話は、池田理代子先生が描いた『聖徳太子』でも出てきたはず。
結構大変なエピソードだったのですよね。
善信尼さん、にわかに気になったのでちょっと調べてみたら・・・
すごく興味深い事実がわかりました。
つづく