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囲碁史記 No.3

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囲碁史研究家の視点により、囲碁の歴史を貴重な資料をもとに解説。 No.3は囲碁史記 第42回から第66回まで 本因坊元丈の時代から幕末の秀和の時代までを紹介します。
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記事一覧

囲碁史記 第42回 外家の登場

 九世本因坊察元の後の時代、十世本因坊烈元の頃から囲碁界では家元に連なる外家という存在…

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囲碁史記 第43回 本因坊元丈

元丈の出自 名人の技量がありながら、名人となることのなかった「囲碁四哲」の一人である十…

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囲碁史記 第44回 元丈の時代の各家元たち

安井知得 知得は安永五年、伊豆国三島に生まれた。父の名は中野弥七というが、この人物が知…

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囲碁史記 第45回 地方碁打ちの隆盛① 山本源吉・長坂猪之助・片山知的

 本因坊察元の登場以来、長らく低迷していた囲碁界は活性化していくが、この頃になると江戸…

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囲碁史記 第46回 本因坊丈和出自考

丈和の出生地 十二世本因坊丈和は天明七年(一七八七)に生まれ、弘化四年(一八四七)に六…

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囲碁史記 第47回 丈和、修行から跡目へ

丈和の修行時代 大器晩成と言われる丈和は、当初それほど注目される碁打ちではなかった。当…

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囲碁史記 第48回 本因坊丈和と井上幻庵因碩 天保の内訌

悪敵手、丈和と因碩 井上幻庵因碩についての詳細な研究は別の回に譲るとして、ここでは本因坊丈和のライバルの一人として話を進める。  寛政十年(一七九八)の生まれで、六歳のとき井上家の外家である服部因淑に入門、文化六年(一八〇九)十二歳で初段となり、師の因淑の元の名である因徹を名乗る。翌年服部家の養子となって服部立徹と改名。文政二年(一八一九)に跡目として井上家に入り井上安節を名乗る。同年に五段で御城碁へ初出仕、本因坊元丈に先二の二子局でかろうじて一目勝ちしているが、この碁は元

¥100

囲碁史記 第49回 松平家の碁会

 名人碁所に就いた本因坊丈和は多忙であった。そうした中で上野車坂下に設けた本因坊道場に…

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囲碁史記 第50回 林元美と事件

 十一世林元美は安永七年(一七七八)に水戸藩士の子として生まれる。本名は舟橋源治。九歳で…

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囲碁史記 第51回 林元美の著書

 家元林家の十一世林元美は博識と言われ、棋譜などの出版にも積極的で、多くの著作が残され…

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囲碁史記 第52回 井上幻庵因碩

井上家当主へ  井上幻庵因碩は武門の生まれであったと言われている。寛政十年(一七九八)…

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囲碁史記 第53回 幻庵因碩の門人と晩年の動向

服部家 井上幻庵因碩が井上家跡目となる前に養子となっていた服部家は井上家の外家である。…

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囲碁史記 第54回 地方碁打ちの隆盛② 関西の碁打ちと囲碁指南所

外山算節  外山算節は、文政年間頃に活躍した京都の人で、幼名を喜太郎。  若い頃に江戸で…

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囲碁史記 第55回 家元の規則

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