孤独から目を逸らす
毎日がつまらない。私がいけないんだ。
それは、いつも感じていたけれど、目を逸らしていたことだった。
今の日常はつまらない
旅行に来ると言っていたPartnerが来なくなった。私は久々に怒りを感じながらも、相手を責めることはできないので、そうとは気づかずに凹んでいた。コントロールでもあったことには、あとで気づいたのだが、それは置いておく。
それから数日間、手放した私は、無意味感を感じていた。恋愛がない、相手のことを考えていないって退屈だ。だけどこれも受け止めなければ…ほかの誰かで埋めても満たされないのはわかっているし、そんなことはしない。
追えば逃げられるので、何もできずに凹んでいた私は、"全然大したことないよ、もっと幸せをイメージするべきだよ"、と吹き飛ばされながら、気分良く過ごしながら、浮上することができたのだけど、その間考えていたこと、浮かんできたことはこうだった。
相手のことを考える時間がないなら…毎日、何もないじゃん。だって、つまらないじゃん、今の生活。
好きで選んでエストニアなんかに来たわけじゃねーし!
寒いし、小さい国だし、勉強して生活するのにはいいんだけど、それ以外はさあ…
私はroommateじゃなくてhousematesがほしかったんじゃあ!
なんでこんな何カ月もこんな場所にいなきゃならないんじゃあ!
Estoniaに行くのだ、と言うたび、みんなが"ああ…"と言っていたし、雰囲気も出していたから、私自身がそれを表現する必要はないと感じていて、"programで選んだのよ、場所がどうじゃなくてさ"と言っていた。だから、確かに選んだのは私なんだけど、もちろん私だって、パリのほうがよかったよー!と、思っているらしい。笑
楽しくないよね。かといって、楽しもう!どこかに行こう!というenergyもない。とりあえず週末はmuseum(徒歩30分)に行こうかな。
根拠のない自信
で、ここで一つ挟むんですけども。
私は選んでcomedyな人生を歩んできたわけではないけれど、表現が難しいのだけど、私の外側=まわりは、充実していたように思う。
板橋で、私はお山の大将だった。勉強ができて、絶対音感でピアノも弾けて、絵も区の最優秀賞をもらうほど上手く、物知りでもあった。運動はからきしだめだったけれど、遊んでいても、私は男子チームに「頭がいいから」という理由で引っ張られていたし、ぶっちぎりで投票を獲得して学級委員になった。自分からアピールしなくても、特別努力をしなくても、普通にしていれば周りよりできて、注目された。私の好きな人もクラス全員が知っていた。向かうところ敵なしだった。
そういうわけで、私は特別で周りとは違う、という意識が子供のときからあった。根拠のない自信ってやつ。これは恵まれているんでしょうね。
それが転校して、同じように姫女王として振る舞っていたら、まわりから嫉妬を買ったというわけだ。
そうは言っても、札幌でもやはりピアノは弾けたので、卒業式で伴奏をさせてもらったし、自信をなくしたのは自分自身の存在であって、勉強やピアノや能力じゃない。別に1番頭がいいと思われてはいなかったけれど、自分を証明しないと!やばい!とは一切思っていなかった。成績も別に悪くなかったし。中学でも挽回できたしね。
特別な人の無力感
高校では落ちるわけだが、そのあとも見つけてくれる人がいたり、ディベートで挽回したりなんだりしてきて、仕事を始めてからも、なんだかんだ評価されてきたと思う。特別で圧倒する私と、自信のない私のmixのような人生だったように思う。
アメリカに行くと、それはそれでまたルールが違って、今までのことなんか関係ない世界だった。転校と似ているかもしれない。ここではまた違うmeasureで見てもらうので、これはこれで褒められたりモテたりした。同時に、一番にはなれない、というか、私は認められるに値するのに!と思いながら叶わないこともあった。
そんなときにも、夏休み札幌に帰国して、Starbucksで教科書を開いていればとなりの女子高生が騒ぎ出し(英語=すごいと思われているので)、塾のバイトを申し込みに行けば「こんなすごい人が近くにいてうれしい」なんて言われたりした。美容室に行ってアメリカに留学していると答えると、すごいすごい!とほめられてうるさいので、適当にごまかすようにもなった。
札幌駅前広場を歩きながら、私はここを歩いている人たちとは違う世界に生きているんだぜ、なんて思ったりした。
そうしてほめられるのは、いいことばかりではない。私が感謝するほどに相手は私のことなんか気にしちゃいない。誰だって私に救ってもらう必要なんかない。もちろんそんなことはできないし、する必要もない。
比べれば上がいる。もちろん人の魅力は学歴や職歴だけじゃないし(考えてみればstoriesのない高学歴はむしろ多いかもしれない)、だから何、という話でもあるのだけど。そうして、そのうち誰も、すごいと言ってくれない場所も現れる。この、特別でありながら感じる無力感みたいなものを、私はずっと持ってきた気がする。
私が夢をかなえて幸せになることは、まわりの人も幸せにする。自分が自由に生きることで、かつての私のような、転校生で自信のない女の子に、勇気や希望を与えたい。夢はかなうのだ、外には素敵な世界があるのだ、と見せたい。Dream jobを追っていることも、この目的があるのだろう。ということは、下っ端ではだめで、上に登っていかなければならない。そんな期待と希望を背負って、私はいるらしい。だからこそ、それに見合わない自分を、私は細くもなければ裕福な生活もしていない、と感じるらしい。
「なぜ姫を特別扱いしないのじゃ!童は素晴らしい存在なのに!」と言っているとしたら、すべてがしっくり来るぜ!と気づいたときは、笑った。
…だけど。
今や、いい歳で、結婚もしていない、ふらふらしている人になってしまったように感じた。なんでEstoniaなんかに流れ着いているんだろうか…なんだか、都落ちした気分だった。
もちろん、Estoniaにいるのもすごい!と、それでも勇気や希望を与えることはできるんだろうけど…私はそうは感じられなかった。やっぱり一番は、私がpartnerと一緒にいて、最高に幸せな姿を見せることなんだろうな、と思う。
目を逸らす完璧なまわり
…と、与えたいのも事実ではあるけれど、本当は私は自分のさみしさから目を逸らしたかったのではないかと思っている。
私が恵まれていて、まわりで起こることが完璧であれば、目を逸らすことができた。でも、友達の家に忘れ物をしてパニックになり、まわりが驚いたことがとても印象に残っているのだけど、まわりが完璧でないと困る、じゃないとだめだめな私が見えてしまう、ひとりぼっちでさみしくなってしまう、というのは衝動だろう。
やりたいことができていない、手に入っていない、だから私は何者でもなく、何も持っていない、という意識を、ずっと持っていた。いわゆる"dream job"を追ってきたのも、目を逸らし続けるためには、こうして何かを追う必要があったんだろうなあとぼんやり思う。
今までのパターンで、dream jobを得ればstatusをまた取り戻せる、挽回できる、まわりに評価されれば自分についていい気分になれる、と思っていて、それでほしかったのかもしれない。
さみしかった転校生の私
毎日がつまらないと思うようになったのはいつからだろう。それは、実家を出てからのような気がした。
私はずっと、ひとりで頑張ってきたということ。つながりたかったということ。いつだって空っぽで、本当はさみしかったのだ。
実家を出てからずっと栄養が足りないような気がする、と母は言っていたが、それは実家のぬくもりというか、人がいる良さなのかもしれない。
このさみしさがどこから来たかといえば、やはり転校生に戻る気がする。ずいぶんと向き合ってきたから、そのまわりのことが見えてくるようになったんだろうけど。
前を向いて歩くことも、食べることもできなくなるくらい、ありのままの自分でいてはいけないんだと自分を責めるくらい、私は辛かった。不登校にはならなかったけれど、学校には行きたくなかったし、あのとき親父はどこにいたん??とは今でも思う。
私はこのときからずっと、行き場のない思いを、聞いてもらえない、頼れる人がいない環境で抱えてきた。言っても戻らないことはわかっていた。中学で板橋に戻る!と言ったこともあったが、それを逆手に取られたので、もう言えなくなった。
これがわかったことは、大きかった。そのまま行けば、そりゃあ中高でカウンセラーに助けを求めるだろう、と思う。だけど当時はそんな体制も整っていなくて、結局アメリカでcounseling servicesに行くまで10年かかった。
Body image・恋愛・魅力
もう一つ大切なことは、転校生でひどいめにあった私が、自分に言い聞かせるようになったこと。理不尽なことが起きて、まわりに頼れる人がいないとき、こんなことが起こるのは、私が悪い子だからなんだ、私のせいなんだ。だって…と自分を責めるのが子供というもの。
そこで私が掴んだのは、body imageと、恋愛と魅力だった。ちょうどふられたしねえ。勉強はできたし、自信も基本的にあったから、そこくらいしか見つけられなかったんでしょうねー。もちろん社会の影響とかそういうこともあるけどね。
学校へ行く道、下を向いて歩きながら、私は前を歩く人のふくらはぎを見ていた。私と違って細いなあ…と思っていた。ここで私のbody image issueが生まれたわけだ。そうして、物事がうまくいかないときには、私が魅力的じゃないからなんだ、細くないからだ、可愛くないからだ、と自分に言い聞かせるようになった。もちろん他人を見る目も厳しかった。あの人は細くも可愛くもないのに…といつも思っていた。
進学校に入り、みんながそうであるように、各町(っていうか、郡だったりするんだけど)の秀才は、自分が1番じゃない!ということに直面する。それは私も同じで、勉強やピアノで圧倒することができなくなり、もっとストレートに、人に好かれることを考え始めたのだと思う。
私が可愛くて細くて魅力的だったらすべてうまくいくのに。
そうじゃない私には、それだけの価値がないんだ。
こうして物事を自分の魅力で測ることは私の癖のようなものであるけれど、今までいまいち、どこから出て来たのかわからなかった。トラウマがあるわけでもないし…
だけど、最近negative self-talkについてfeedbackをもらい、何故だろう?と考えていて、私が掴んだものだということに気づいた。
私が魅力的ならば、親切にしてもらえるし、物事はうまくいく。
いいことが起こらない、すんなり行かないならば、それはうまくいかないもので、私が努力しても変えることはできない。私にはこのいいことが起こる資格がない。
悪いことが起こる、悪い扱いを受けるならば、それは私の価値がそれだけだということ。
いいことが起きていると思っていると、突然悪いことが起こるかもしれない。
他人にも同じような時、同じような言葉をかけるだろうか?と聞かれたとき、ずいぶん変な物の見方だよねえ、なんでそう考えるようになったわけ?と聞くだろうなあ、と思った。
時間の制限なくそばにいて
話は変わって。今はぼんやりしているし、partnerとの会話や、一緒にするactivitiesを楽しむことができて、足りない!もっと!という感覚はないのだけれど、元彼のときは、いつも足りなくて、もっと、と思っていた。
時間の制限なく、邪魔が入らず、私だけのために、そばにいてほしいと。
…これは、どこから来たのだろう。
イメージをしても、泣けないし、すぐにたどり着けなかったけれど、Inner Childに聞いてみる。
チョコチップクッキーが食べたい!(好きなのです)
チーズバーガーとアップルパイが食べたい!(MOSが家の近くにあって、そこに行くのが好きだったのです)
やっぱり転校したくない!地元に戻りたい!(まあ、そうなるよねえ)
…両親に、離婚しないでほしかった。
こう、急降下するわけですねえ。苦笑
親父が家を出て行ったときのことは、イメージして手放していたけれど。
別居でもいいから離婚しないで年末なんかには一緒にいてほしかった、家族がいて帰る場所=実家がほしかった、家族で過ごしたかった、そういう思いがあったことが、この時にわかった。
なんで離婚するんだよー。
ちなみにこれを書いていたのは、libraryの中でも声を出していいエリア(だけど常に静か、というのがEstonian国民性をよく現していると思う)だった。書きながら感情に浸った私は、その後トイレに行って、静かに泣いた。
またやってる
今回、無意味感が出てきたからこそ、こうして向き合うことができた。感情を受け止めることができれば、距離を取って、俯瞰…と言うらしい、私がよくやっていることをできるようになる。
Body imageと魅力に気づくと、私はそういう癖がありますよねえ、またやってますねえ、と見られるようになっていることに気づく。どこから来たのかがわかれば、そういうもんなのかもしれない。
Masculinityで怒りが高まるのと同時に、無意味感、無価値観、寂しさみたいなものが出てきて。今週はそういうことらしい。渦中はつらいけれど、私はすぐに抜くことができるし、これはすべていい流れである。
一周回ってmasculinityという週にこうなった。
だから、partnerには感謝なのかもしれない。
Lifework
話は変わって、今、lifeworkで抜けるということが、よくわかる。
ディベートやプレゼンやミュージカルをやっているとき、私は没我だった。ただ与えたい。楽しませたい。私も楽しい。そうしてenergyがうまく回っていた。そんなの何の役にも立たないじゃん、一体いくつなのよ?とegoは言う。だけどこれは、決してみんなが持っているものじゃなく、私のgiftなのである。
さみしかった私は、まわりを楽しませることが好きで、与えたい。包み込むこともできるし、笑いで吹き飛ばすこともできる。それも私の強みなのである。
さみしかった自分に気づくことができて、癖がどこから来たのかわかったら、もう完璧であることも、自分を責めることも、気にならなくなるのかもしれない。