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視えないものの、答え合わせ


クリスマスも終わって、2022年がもうすぐそこまで。
近くに迫る新年の足音もなんだか現実味を感じない。

Instagramを開くと、みんなおのおのクリスマスを大切な人たちと過ごしていた。羨ましいとか、なんで私はとか、そういった感情はもう沸かなくて、生きてる世界線が変わっているんだなと思った。

会って話すと、その差をさらにリアルに実感する。
周りは、私も同じところを望んでると思っているから、
その思いやりがちくちくと心に棘をさす。申し訳なくて悲しくなる。

いい学校にいって、いい会社に入って、結婚して、子どもを産んで、家を建ててー・・・

これが、一番正しくて、幸せで、目指すべき、あるべき人生の姿と思い込んでいた。

自分はそこから少しズレているとずっと前から気付いていたのかも。
けど私は大丈夫だと、あるべき姿に同調しているように擬態した。
その思い込みが少しずつ心を軋ませていたのか。

こころは、自分でも視えない。

いつから?と思うと、ものすごく遡る気もする。
治ったのか、大丈夫なのか、何が間違っていたのか
視えないから答え合わせができない。

長い間、あるべき姿と思い込んでいた姿に周りは近づいていて、
自分は離れているということを受け入れているような、
でも、まだやっぱり諦めたくないのかな。

自分でも視えなくて、わからないものを
答え合わせがしたくてもできない。
思っているより頑丈な気もするし、
もう直せないくらいぐちゃぐちゃに崩壊してる気もする。

年末年始、同級生から集まりの誘い。
誘ってもらえるのはすごく嬉しいのに、
会ったらまたものすごく落ち込むし、暗くて申し訳なくて会えない。

ネガティブ排除運動活発の世界、人権がない。

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