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「死にたい」という気持ちは、大切なサインかもしれない
「死にたい」と感じること。それはもしかすると、自分自身からのとても重要なサインなのかもしれません。
その裏には、「生きている実感がほしい」という切実な欲求が隠れていることもあります。
「死にたい」と思う気持ちの奥底には、実は「もっと生きたい」「もっと感じたい」という深い願いが潜んでいることもあるでしょう。あるいは、長く抑え込んできた怒りや悲しみ、孤独感などを、「死にたい」という言葉に託して、一時的に解放しようとしているのかもしれません。
でも、それは本当に「死にたい」という願望なのでしょうか?
私は以前、「人は自分の日記にさえ嘘をつく」というドラマのセリフに、深く共感したことがあります。
私たちは、他人にだけでなく、自分自身にさえ本当の気持ちを隠してしまうことがあります。でも、その習慣を無視したままでいると、心はどんどん傷ついてしまうのです。
もちろん、絶望感や疲れから、本当に「死にたい」と感じることもあるでしょう。でも、それですら、「本当はできることなら生きていたい」という気持ちの一部ではないでしょうか?
ときに、「死にたい」という言葉は、「誰かに気づいてほしい」「助けてほしい」という心の叫びであることもあります。また、ただストレスを発散したくて口にしてしまうこともあるかもしれません。
だからこそ、その気持ちを否定せず、大切な自分の声として受け止めてみてください。
「死にたい」と思うとき、自分は何を求めているのか?
その感情を丁寧に感じてみることで、本当に必要なものが見えてくるかもしれません。
もし一人で抱えるのがつらいなら、専門家の力を借りるのもひとつの選択肢です。そのときは、「どうにかしてほしい」という気持ちだけでなく、「自分はどうなりたいのか?」という視点を持つことが、前に進むための助けになるでしょう。
何よりも、「死にたい」という気持ちを軽視せず、それが 自分からの重要なサイン であることを忘れないでください。それをきっかけに、自分自身を守り、支えていくことができるのです。
私たちは感情を「肯定的」「否定的」と区別しがちですが、実はどんな感情も本来は等しく大切なもの。ただ、それを「気持ちよく表現するなら肯定的」、「拒絶するなら否定的」、そう見えるだけなのです。
だからこそ、どんな感情も否定せず、湧き上がる自分の気持ちを大切にしてください。