1/365
夏至、日の出。
早朝4時46分、思し召しのような淡い感情を胸に目を覚ました。夢に見たあの景色への未練を少し残しつつ、確かな境界線を噛み締めながらタイムリミットである5時10分に急かされて、引っ越したばかりのアパートを飛び出した。
クローゼットから適当に取り出した服と、寝癖を隠すための帽子、洗濯してやっと乾いたランニングシューズは、最近朝型になった僕に対して従順だった。
もう既に空は憂いを忘れたような淡い色に包まれていた。もうすぐお役御免の街灯が走り出す背中を押してくれた気がする。うさぎの親子が朝から戯れるのを横目に見て、目的地へと向かった。
4時間後までの課題の存在や、少しずつ枯れ始めた花瓶の躑躅色の花のことが脳裏に溢れるのを認識しながら、左右の脚を交互に前進させる。意外と同じことを考えている人がいるみたい。公園に到着すると、同い年か少し年下に見える二人がピクニックシートを抱えて同じ丘を登っていた。
いつもはボートで歪んでいる水面は、踏んだら痛そうなビルが並ぶシアトルの街の輪郭をはっきりと捉えていて、まるでその瞬間を一緒に待っているようだった。
僕は日の出を見たかった。
夏至、6月21日、1年で一番太陽と共に過ごせる日。両親の25年目の結婚記念日。夏学期2日目。そんな1日の始まりを少し特別に感じたかったのかもしれない。いつかの会話が、頭の片隅に残っていたのかもしれない。
結局、眩しいような朝日は雲に隠れて顔を出さなかった。
それでも、汗を朝の冷たい風に晒しながら、あがった息を整えながら見る、オレンジとライトブルーのグラデーションに浮かぶマーブル模様を横目で見ながら、妙な高揚感を覚えていた。
1/1の一日
昔から特定の1日に特別なんて感じなかった。卒業式、クリスマス、大晦日、自分の誕生日でさえ、ただの365日のうちの1日でしかないと思っていた。誰かの誕生日を祝うのは別のお話だけどね。どんなイベントがあったって、それは1年を構成する365日のうちのたった1日でしかなくって、寝て起きたらその次の1日がほぼ確実に始まる。そんな日常に冷めた僕だった。
今まで日常に色彩を感じられなかったのは、それを必ず来るその日の終わりを受け入れる余裕がなかったから。感情が飽和してしまうのが苦しくて、そこにある煌めきに触れることから逃げていたと最近になって自覚した。
日常に特別を付け足すのは、環境でも他の誰でもなく、自分である。何気ない1日でも、小さな幸せはどこかに隠れているのかもしれない。見上げた綺麗な空、満月の夜、鴨の家族の戯れ、道端の花の香り、新緑の芽生えに喜びを享受することができるなら、それはきっと自分にとって特別な日なのかも。綺麗なものを綺麗に感じることができる感性には、それを迎え入れる少しの準備と余裕が必要だと知った。
今日は夏至の日、ただの1/365、でもきっとそれは特別な1/1なのかもしれない。それを特別にしたのは、誰でもない自分である。
きっかけがどうであろうと、朝と夜の切れ目の上を、息をあげて夢中で駆けた自分が特別にした。
きらめく世界
日暮れを待つシアトルの街を見ながら、僕のAirPodsからはこの曲が流れていた。
メレンゲの「きらめく世界」
最近友人から言われたんだけれども、どうやら僕の音楽の趣味は一風変わっているらしい。流行りには疎いし、ジャンルにも好き嫌いはもちろんあるけれど、変わっていると言われたのは初めて。もし彼らを認識しているのであればぜひ友達になりたい。
おそらく中学生の頃にふとYouTubeのおすすめに顔を出した一曲。ノスタルジアに溢れると同時に、淡い日本の夏模様を思い出す。茜色に染まる湿った空気に、夕飯のカレーの匂い。風鈴が揺らぐ縁側に、愛猫の後ろ姿。
夏至のシアトルの日没は21時10分だけれど、もうみんな夕飯は食べてしまったのだろうけど、目の前には同じようにきらめく世界があった。ちっぽけな自分だけれど、狭い境界線に縛られず、命を燃やしていきたい。
日照時間、およそ16時間の今日が終わりを告げようとしている。きっと衝動に駆られて朝部屋を飛び出さなかったら、今日は昨日と同じ、ただの1/365だったのかもしれない。クラスへ行って、部屋の掃除をして、ジムでトレーニングをして、好きなドラマを2話見返して、図書館で勉強をした。そんな1日がすごく新鮮だった。特別だった。
今日過ごして感じたのは、きっと明日も素敵な1日になると思えば、名残惜しさではなく、心躍る多幸感に溢れること。少し前向きになった自分を褒めてあげたい。
小さな幸せに気づくためのアンテナを、麗しく生きるためのちょっとの余裕を大切にして、明日からまた頑張ってこー!
PS., 両親へ、25年目の結婚記念日、おめでとう。いつまでも元気で、お互いを大切に、今まで通りこれからも仲良く時間を重ねていってください。