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夕暮れと私

習慣になったもので、唯一形に残っているものがある。
それは、私の”夕方散歩”についてきた、思わぬ宝物だ。


私が夕方の散歩を始めたのは、コロナ禍になってからだった。
家に籠りっきで、全然運動しなくなってしまった私は、”とにかく体を動かさないと”という使命感から、散歩を始めた。

外を歩くという行為は、コロナ禍の田舎住まいぴったりだった。
なぜなら、道を歩いていてもひとっ子一人いないから。


まっすぐ伸びる田舎の道

こんな田んぼの中の道、ただただ歩くだけで気分が良かった。長い時は1時間ぐらい歩くこともあった。ちなみに私以外の人間と会うことは、殆どない。ただし、虫はたくさんいる。



誰もいない世界に行ってしまったかのような感覚。風が心地よく流れて、草木は人間たちが自粛していることなど知らず、スクスクと生えている。


大抵仕事が終わって、日がゆっくりと色を変えていくころに散歩を始める。夏場は、太陽が半分地平へ埋まった頃に歩き始めると、涼しさがちょうどいい。なにも考えずに、ただひたすら田んぼ道を歩いていく。


そして天気がいいと、茜色がさして景色をゆっくりと変えていく。私が最も好きな時間帯だ。
大きな絵画に自分が入ったかように、色に包まれていく。緑色だった田んぼも、青色の空も、その色に介入されて、夜に向けて準備を始める。


そのタイミングになると、どこを歩いていても、一旦立ち止まってしまう。この綺麗な色味は、ただ一瞬、この瞬間のためにある。だから焼き付けたくなって、カメラを掲げた。


田んぼに乱反射する夕暮れ


渦を巻く雲と"止まれ"


天気の良い日に散歩をするたびに、こんな写真は増えていった。
同じような田舎の景色。だけれど、カメラを持ったその時だけの色味。


赤く燃える世界


線路の先に夕暮れ

何度見ても飽きない。赤い時も、オレンジの時も、混じったマーブル色の時も。目に焼き付けた景色とは少し違うけれど、写真の空もまた私が見た記憶だ。コロナ禍を期に田舎に戻り、友人にもなかなか会えない日々。仕事もうまくいかないこともあった。転職をして、不安な中一日をすごすこともあった。

けれど、1日の終わりに、こんな風景に出会えると「とてもいい1日だった」と終われるような気がした。


マジックアワー

次第に、フォルダは、夕日の写真でいっぱいになった。それを眺めるのも楽しかった。 たまにinstagramに投稿したりもした。新しい発見、田舎の夕暮れは映えるのだ。



そして、コロナがある程度落ち着いた今も続けている。
そう、“夕方の散歩”という私の習慣に、”夕日を撮る”というが追加されたのだった。


6/29の夕日 日が長くなりました



それは、スマホをひらけばいつでも会え、私の”習慣”の証であり、コロナ禍を生き延びた私をそっと勇気づける写真たちだ。


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