自分の中にいるたくさんの「わたし」
こんにちは。
今日は、前回のテーマからの流れで、「癒しの抵抗」について書きたいと思います。
癒しのプロセスを進んでいきたい、次のステージに行きたいと思ったときに、必ず自分の中に「抵抗」というものが出てきます。
わたしはどちらかというと、「癒し」のためのいろいろなアプローチ、作業をするよりも、この「抵抗」をいかに乗り越え克服するか、ということの方が大事なのではないかと思っています。
なぜなら、「抵抗」さえなければ、人は自然治癒力で、
心もからだも勝手に元の状態(元氣)に戻っていくからです。
なぜ、前回紹介したような、癒しのプロセスが次から次へとさくさく進んでいかないかというと、
自分の中の「抵抗」パーツの方が力を持っちゃっているからです。
ここで、「パーツ」のことを説明します。
私たちはみな多重人格者??
みんな自分のことを「一つの自己(意識のまとまり)」として見ています。
当たり前のことのように思えますが、
実際は、身体は一つでも”自己”というまとまりは一つではありません。
例えば周りの人はわたしのことを「しっしー」と呼びますが、
「しっしー」の中には複数の人格が存在しています。
一人の人間の中に複数の人格者、と聞くと思い出すのが、
多重人格者だと思います。
世の中には、多重人格者という病気の人がいて、
その人たちだけが心理的な苦しみを抱えていると多くの人は思い込んでいますが、
実際は、すべての人がたくさんの人格をもっているため、
みんな多重人格です。
それぞれの人格が、独自の視点、欲望、ニーズ、強み、弱点、思想、感情を持っているのです。
問題は、その人格たちが調和して仲良く自分の中で暮らしているのか、
それとも分裂して戦っているのか、ということです。
なぜ解離が起こるの?
すべての生き物は、トラウマ的状況に逢うまでは、
自分という一体感をもった意識の状態にあります。
ところが、ショックな出来事、怖い出来事、解決困難な体験、といった、トラウマ的状況に遭遇したとき、その時に耐えられない感情を切り離すことで、自分を守ります。
トラウマというと、虐待を受けた、戦争を体験した、天災の被害にあった、
といったドラマチックな体験によってできるものという印象がありますが、それだけではないのです。
胎児のときに母親が強いストレスを感じることもトラウマになるし、
病院で生まれることもトラウマになる。
お母さんのおっぱいから引き離されることもトラウマになるし、
2歳の子にとっては、目覚めたときに近くに誰もいなかったということがトラウマになったり、
3,4歳の子にとっては、大きな大人に怖い顔で大声で何か言われた、というのがトラウマになったり、
大人同士がけんかしているのを見るのも、トラウマになったりします。
こうやってみていくと、私たちがどれほどトラウマを抱えているかというのがわかると思います。
どれほど完璧な親でも、子どもがトラウマを抱かないように育てるということは不可能です。
そうやってトラウマ的状況に遭遇するたびに、私たちは本体の自分から、「感じたくない感情=わたしではない」を切り離し、断片化して閉じ込める、ということをやっていきます。
本来だったら、生き物が何か絶望的な経験、その時に解決できないような経験をしたときには、「闘うか、逃げるか、フリーズするか」という選択を本能的にして、その状況を生き延びるのですが、
子どもをはじめ、身体能力的にそれが無理な場合、
自分の意識や感覚の一部を切り離す、というのが唯一の最善の解決策となります。
私たちは自己防衛のために、無意識のうちにそれを行っているのです。
解離は、その時には「必要な」サバイバル術だったのですが、
今は必要がなく、むしろその「解離」が生きづらさの原因となります。
その切り離された一部が、「パーツ」となって、それぞれ人格を持つようになります。
一人の人間の中に存在する人格の数には制限がなく、たいてい2,3人ということはなくて、多い場合は数百人ということもあるみたいです。
大きくわけると、日常を送る自分と、トラウマ関連のパーツ(この中に複数いる)になります。
連続した「わたし」がいない
自分がついさっきまで仲間たちとワイワイ盛り上がってたのに、
急に一人になりたくなって家に帰ってしまった、
とか、
自分ではコントロールできないような強烈な感情に襲われて飲み込まれてしまうことがあったりだとか、
目の前の人が、さっきまで温和な表情で楽しそうに話をしていたのに、
急に豹変して、牙をむきだすように怒り出した、
とか、
仕事で上司が、この前と言ってることが全然違うので困ってしまった、、、
そいういう経験ってありませんか?
これこそが、解離によるものです。
日常を送るパーツから、トラウマ関連のパーツへと意識が切り替わったのです。
この切り替わりは、本人や周りがコントロールできるものではなく、
トラウマを喚起するような刺激(トリガーといいます)によって、トラウマパーツが活性化され、表に現れてくるのです。
いわゆる多重人格者というのは、一つのパーツが自分を操縦しているときに、他のパーツの記憶が全くない、という状態ですが、
大抵は、そこまでにはなりません。
自分の一貫性・連続性が感じられない、自分の全体がわからない、というのが、一般的な「解離」です。
いわゆる多重人格者ほどではないにしても、
これがどれほど生きづらい状態なのか、理解するのは難しくないと思います。
そして私たちの「生きづらさ」の度合いは、
自分の中にいる様々なパーツたちが、どれぐらい分裂しているかによります。
複数のパーツたちの内的コミュニティがどのような状態であるかが、自分の外側の世界(現象)に鏡のように現れます。
傷ついたり傷つけられたり、騙したり騙されたり、嫌ったり嫌われたり、バカにしたりバカにされたり、加害者になったり被害者になったり、、、
それは、まずは自分の内在者同士の間で起こっていることなのです。
トラウマ関連パーツというのは、そもそも安心という感覚を知らないパーツなだけに、敵じゃない人を敵だと思ったり、強い不信感を持ったり、被害者意識を持ったりしやすいです。
そういうパーツに自分の操縦席がハイジャックされて、心が機能不全になり、ウツや統合失調症、人格障害、依存症など精神疾患に発展していきます。
また、トラウマ関連パーツ(インナーチャイルドとも呼ばれます)は、たいてい家族や親子というクローズな関係性で生まれるものなので、大人になって現れるときというのは、一般的な人間関係よりは、恋愛関係・パートナーシップ、深い友情、師弟関係など、親密な関係の方が現れやすいです。
恋愛関係をこじらせやすい、パートナーとうまくいかない、親密な関係を築きにくい、というのは、
自分や相手の性格が問題とか、単に縁がない、波長が合わない、などと片づけてしまいますが、
実はこのトラウマと解離のしくみが原因だったりします。
癒しは、ある意味、自分の内在者たち(パーツ)が調和して共存できるようにしていくことです。
カウンセリングやセラピー、自己実現法には古今東西様々なツールやアプローチ、理論がありますが、
どれも、目的は「内なる統合」なのです。
一人一人の心の深い部分の社会・コミュニティが平和で調和のある状態になっていくことで、自分の人生のみならず、周りのコミュニティ、社会全体、世界までもが変化していくことにもなるのです。
「癒し」が、一部の心のしんどい人たちだけのものではなく、
すべての人に必要なプロセスだというのが伝わるでしょうか?
ここまで理解すれば、誰でも「トラウマを癒して、心の平和を取り戻したい!」と思うはずです。
ところが、いざ癒しに取り組むようになったとき現れるのが、「防衛パーツ」です。
「防衛パーツ」たちは、癒しに抵抗するだけでなく、
なんと、幸せになること、豊かになること、健康になること、などにも抵抗しています。
「癒し」に抵抗するパーツの存在
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