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【イベントレポ】韓国の詩人と考える文学の世界<後編>

11月21日に福岡市博多区のJR博多シティで開催された「韓国の詩人と考える文学の世界 オ・ウン+キム・ソヨン+辻野裕紀」(クオン、九州大学韓国研究センター共催、韓国文学翻訳院後援)のイベントレポ後編です。

―辻野:オ・ウンさんがデビューした2000年代は詩の形態が多様化し、参与詩が環境問題を扱う「生態詩」へと変質したり、いわゆる「回想の詩学」が流行ったりした、ある種の過渡期だったと思います。オ・ウンさんは同人「チャンナン」のメンバーでもありますね。詩壇のフェーズが変わる中、どういう思いで詩を書き続けてきたのですか。

:私がデビューしたのは21歳で、同時期にデビューした詩人たちは7~20歳も年上でした。私は詩壇における生存戦略として、両親より年下だったらヌナ(姉さん)、ヒョン(兄さん)と呼ぶことにしました。日本でも著名な詩人キム恵順へスンさんは母より上だったのですが、「恵順ヌナ」と呼んだり、先生とも呼んでいます。

 さて2000年代はいろんな声が出てきた時期でした。多様な話者が現れ、それぞれのスタイルで書いた「詩の形式の激変期」とも言える時期。それらの詩を読みながら、詩人としてかなりの影響を受けました。詩の形式は決まり切った、固定できるのではないのです。

 私たちが「良い詩」というものが、どれだけ近代の思想に染まっているかに気付きもしました。私の詩の手法である「言葉遊び」は普段の生活の中でも見られるもので、韓国ではいわば「冗談」の部類で、文学的な技法とは見なされませんでした。しかしこの言葉遊びをとことん突き詰めれば、新しい世界が開けると思いました。言葉遊びというのは、遊びというだけに面白い。悲しい話も、暗い話も、遊び性を持っていれば、読んだ時に笑いながら読める。ひと笑いしてから、なにかさみしい、悲しいという思いが湧いてくる。その時こそが言葉遊びが持つ力が最大化する瞬間です。

 同人「チャンナン」では互いの詩の世界を尊重し合い、互いの授賞を祝い、朗読会を開いたりしています。私を応援してくれ、詩を支援してくれる人がいたら安心できる。ありがたく頼もしい存在です。拠点は〔ソウルの〕大学路テハンノにあります。遊びに来てください。

キム:いま韓国ではたくさんの新しい詩集が発刊され、詩人も増え、読者が広がっている。詩人としては楽しいことで、オ・ウンさんを筆頭に、個性的な詩が増えている。作風の部分ではオ・ウンさんとは共通点はなく、それぞれが自分の声を発し始め、韓国の現代語が自由になったと言えます。

:さまざまな声があるから、読者が楽しんで、詩が読まれる。同じ声だったら退屈。違うから自分に合う声を探す楽しみや冒険があります。

―辻野:詩の快楽について。詩の特異性のひとつは〈要約不可能性〉だと私は思っています。読書は今や目的論的行為になっていて、知識を得るためとか、試験に合格するためとか、目的が先にある。文学批評の世界では、テクストとストーリーを区別します。目的が先行するとストーリー、つまり要約された「あらすじ」として読まれやすくなる。しかし、詩は約言することができません。詩は目的から自由なものです。実用性とは対極にある。

 そして詩は「言語はコミュニケーションの道具である」という、多くの人が牧歌的に信じ込んでいる言説をきっぱりと否定してくれます。詩を読むと、言語が単なる道具でなく、道具以上の存在であるということがよく分かる。言語学者の野間秀樹先生は、言語には〈ことば性〉と〈はなし性〉があると仰っている。〈ことば性〉とは言語それ自体、形として際立つ言語の性質のこと。それに対して〈はなし性〉とは意味の世界、つまり物語性のことです。そして、詩の言語では一般に〈はなし性〉が後景化して〈ことば性〉が前景化します。フランスのボードレールや、韓国文学であれば李箱の詩などを思い出していただければ分かると思いますが、そうした象徴詩、モダニズム詩、主知主義的な詩は〈はなし性〉を復元するために〈ことば性〉を徹底して意識することを私たちに否応なしに要求してくる。これはつとにヤコブソンが提示した「言語の詩的機能」という話にも繋がってきますが、ある意味で、詩の言語はコミュニケーションを拒否しているとさえ言えると思うんですね。しかし、読み手は、普通はあり得ないシンタグマや見慣れないシンタックスによって疎通を拒否されながらも、そこに理路の通る意味を探してしまう。なぜなら、私たちはどんなに意味不明な文が与えられても、必ず何らかの意味があるという前提で言葉に接するように刷り込まれているからです。だがそれは往々にして挫折する。文学、とりわけ詩にとってそういう「分からなさ」はとても重要で、その分からなさに耐えながら意味を探すというのは、ものすごく生成的で力動的な営みなのですが、その際に読者ができることは、詩を自身の個人史に照らすことだけなんですね。その意味で、詩の読解は、自身の経験と記憶の束を手繰り寄せつつも、個人史を更新させる行為。そこに詩を読むことの快楽があると私は思います。詩を読むこと、書くことの快楽について、詩人のお二人はどう考えていますか。

キム:私たちが歌を聴いたとき、外国語が分からなくても何かを感じる。私は、詩は理解される前に伝わるものとだと思う。理解よりずっと早く統合的に、体が受け入れる。コミュニケーションは疎通のためのもので、詩は日常の言語では表現できないものです。言語には、表現できないものがある。感覚、記憶の中にも言葉になりえないものがありますが、それを表現したくて、詩を書いています。パイの層のように、いくつもの層が重なった複層的な経験や、感覚。詩だけが表現できるもので、それを一層だけ取り出して分析するのではなく、ぱくっとパイをこぼしながら食べるような感覚です。

:詩を読むとき、私は何を求めているか分からないけれど探しているようなモードになります。詩集を買ったら、全体を理解してしまうのではなく、詩の一節、何だか分かるぞとか、自分に合っているな、という風に。場面が分かるとか。例えばマラソンを終えて水を飲む場面を読んだとして、マラソンをしたことがなかったらどれだけ喉が渇くか分からない。でも自分が求めているものが何かわかる瞬間でもあります。

 詩を読むことは、人の視点を通して、自分の欲望を再発見する行為だと思います。私も知らない私を知ることです。21年間、詩人として生きてきましたが、自分の作品を読むと知らない自分に出合う気持ちです。普段使わない言葉や表現、他人の言葉づかいになっていたり。私の中に知らないオ・ウンがいる。その出会いの窓が詩人であることなのです。詩を読むことは、私が知らなかった感情を誰かが明らかに描写して、私たちの心を覚ましてくれるような、「もう一人の私」に出合う営み。「知らない」という言葉を重ねて使いますが、私は詩が何か知りません。だからこそ、書き続けています。

ー辻野:明日から熊本の水俣に行かれるそうですね。今お話をうかがいながら、石牟礼道子さんの「人間のその一番深い奥の方にある気持ちの動きは、ほんとうは言葉では表わせない」という至言を思い出しました。にもかかわらず、詩の言葉はそれを表わそうとする。詩を読み、考えることは、言語の不完全性と深み、重みの双方を同時に感じさせてくれるように思います。

:不可能だからこそ魅力的で魅惑的。言語は道具で有用さが追求されるものですが、詩は無用で無駄なことを志向するもの。スピードが増すこの時代に、ちょっと立ち止まって振り返ることができる時が必要です。無駄なこと、ちょっと振り返る時間が詩だったらと思います。不可能性でも無用性でも、そこに詩の魅力があるんです。

【会場からの質問】

Q.詩はコミュニケーションを目的としない「沈黙の言語」というお話に共感します。私は詩人として2015年に、啓明大学・韓国外国大で韓国の詩人たちとディスカッションしたことがあります。日韓の詩人では関心が大きく異なりました。韓国の詩人たちは共同体や他者といかにコミュニケーションを取るのかについて考えていた。日本の私たちの関心は「私」という存在についてだった。そこに私は違いを感じたのですが、それは当時の参加者間だけの話なのか、それとも韓国共通の問題なのでしょうか。

キム:2015年の前年にセウォル号事件があり、韓国社会は大きなショックを経験しました。それ以後、韓国の文学は本格的に他者や倫理に対する熾烈な苦悩を経験することになりました。私も他者について考えていて、一方で私自身が純粋に「個人」として生きられるまで、耐え抜こうとも思うのです。個人に回帰したい、と。

:この苦悩は詩人だけに限った話ではありません。セウォル号事件以降、「代案共同体」というものが語られるようになりました。他者をいかに理解するか。相容れない者同士でいかに共存できるか。制度による縛りではなく自発的な共同体への渇望があるのです。


.お話をお聞きしながら、「詩は正直な姿勢で書かれるもの」だと思いました。自分にはできないこととして、そういう姿勢を尊敬します。他人の詩を見て、いい詩、そうでない、とどう判断するのですか。表現することが許されない感情や分野があるのでしょうか。

キム:この世界に、いい詩と悪い詩が別々に存在するとは思いません。いい・悪いに分けられない物事もあります。この詩は子どもの頃ならよかった、この詩はもっと年を取って読んだらいいだろう、この詩は今の私がいいだろう……などと思うのです。

:ご質問で「詩は正直だ」とおっしゃいましたね。私は幸せでも、それを露骨に表現できないから、詩の中で照れながらも表現していた。約20年書き続け、詩の中にありのままの自分が表現できていると感じられるようになりました。詩の中では誇張することはできず、日記より正直なジャンル。ご質問でそれを看破されたようで、どきっとしました。いい詩、悪い詩は区分が難しいですが、私はその人の色が出ている詩が好きです。これは、詩を展開する方法によるもの、詩の世界観かもしれません。好きな詩をいい詩、と思うかもしれません。

キム:詩に書いたらいけないことがなかったらいいと思います。書いたらいけないものを書いて問題になったとしても、一緒にそれについて悩み、新しい倫理を発見したりする。そこに文学が力を添えられたらと思います。

:弱者と少数者を排除したり、嫌悪したりする視線はいけないと思います。私は詩を書く時、この言葉を聞いた人がどういう思いをするか想像して推敲します。


Q.福岡で亡くなった詩人尹東柱について、思いを聞かせてください。

:韓国で最も愛される詩人といえば第一にあがる存在。私はその詩にふれると、詩を書く衝動とは喜びより恥ずかしさや悲しみなのだと思うのです。詩人が持つべき態度や心構えを、尹東柱の詩や人生を通して学んでいます。

キム:私はそうした「恥」を知ることが、人間の能力だと思います。さきほど私の詩が悲しいというキーワードをいただきましたが、悲しいからではなく、悲しむことを知っているから書いている。今朝、尹東柱が亡くなった最期の地に行きました。そばの路上で尹東柱の詩を朗読しました(※注:ヘッダー写真)。「星を数える夜」を読んだのですが、最初は照れくさくて、早口で読みました。つっかえるかと思ったら、とてもリズムが良くて最後まですっと読めた。彼の詩のリズムがどんなに美しいかを舌の先で感じて、こみあげてくるものがありました。

 【朗読】

オ・ウン「散歩する人」

 歩いていった 道があった 歩いていった 知らない道だった ゆっくり
歩いた 休息のために歩き始めたのではなかった
 歩幅が一定でなかった 歩いていった 足跡は言い訳だ その方向に歩か
ねばならない切実な理由のような 四方に言い逃れをする中途半端な弁解の
ような
 ちょっと足を止めて周囲を見回した 思索のために歩き始めたのではなかった 知らない風景だった 深い足跡が刻まれた
 歩いていった 底も終わりもないから歩いていった 何もわからないから
歩いていった 底が見えないから 終わりがないから歩いていった 歩いて
いった 疲れなかった
 いつの間にか歩調が速まった 健康のために歩き始めたのではなかった 背後の風景が一点で消失していた 僕が前に歩いていった 風景が後ろに走っていった
 歩いていった 道があった 歩いていった 知っている道だった 知って
いる道なのに慣れない道だった おせっかいのように足を突っ込んだ 最後
まで言えなかった言葉のように歩いていった

 次の日も歩いていった 道がなかった 足の置きどころがなかった 歩い
ていった 最初の一歩を踏み出し二歩目を踏みつけ三歩目を踏みしめ四歩目
の足を伸ばした ひと肌脱ぎ靴を脱いだ 足がすり減っていた 歩いていっ


 突然雨が降りだした 足を踏み出せなかった 考える必要があった 
まず [ウソン] 傘[ ウサン] を差そう 歩いていった 雨の道を歩いていった 足元で蛇足 [だそく] たちがぴちぴち音を立てた 

(詩集『私には名前があった』より)

キム・ソヨン「激戦地」

 あらんかぎりの闘いをすべて経験した恋人の膝からは得体のしれない生臭
いにおいがします、知ってはならぬ獣の生臭さが匂いたちます、不穏ね、と
言おうとして、平穏ね、と言うんです、かちゃかちゃと匙でごはんを混ぜて
いると、これまでの日々が赤く混ざってゆきます、二人の未来が互いのうな
じで槍の切っ先のように鋭く光ります、きわどいわね、と言おうとして、き
れいね、と言うんです、一人がもう一人の前でみすぼらしくなるとき、二人
はゆっくりと体をとりかえて重い午後を通り過ぎてゆきます、何もかも告白
しつくした恋人の二つの眼には、得体のしれぬ酸鼻が一文字一文字刻まれて
います、知ってはならぬ酸鼻を賛美に映しかえる互いの眼差しは風霜、ある
いは風景、いまではあなたは私の唯一無二の悪夢になりつつあると言おうと
して、洗いものをしにいくんです、マッコウクジラが開け放たれた蛇口から流れでてきます、深海に指先を浸して青い血管の中に閉じ込められている赤
い血について考えるんです、解けるということと染まるということについて
考えるんです、夜にまみれるんです、ありったけの愛をすべてやりつくした
恋人の部屋には見たこともない植物が天井まで生い茂ります、得体のしれぬ
陰惨な香りがします、知ってはならぬ巨大な果実を膿汁のような果汁が流れ
落ちます、なんてこと!と言おうとして、いとおしい、と言うんです、                   

(『数学者の朝』より、姜信子訳)

 (レポーター:編集企画・雨水)


PROFILE

オ・ウン
1982年韓国全羅北道井邑生まれ、2002年詩壇デビュー。詩集に『ホテルタッセルの豚たち』『私たちは雰囲気を愛してる』『有から有』『左手は心が痛い』、青少年詩集に『心の仕事』、散文集に『君と僕と黄色』『なぐさめ』など。邦訳に『僕には名前があった』(吉川凪訳、クオン)がある。朴寅煥文学賞、具常詩文学賞、現代詩作品賞、大山文学賞などを受賞。

キム・ソヨン
詩人。露雀洪思容文学賞、現代文学賞、李陸史詩文学賞、現代詩作品賞を受賞。詩集『極まる』『光たちの疲れが夜を引き寄せる』『涙という骨』、エッセイ集『心の辞典』など多数発表。
邦訳に第八回日本翻訳大賞受賞作品『詩人キム・ソヨン 一文字の辞典』(姜信子監訳、一文字辞典翻訳委員会訳)『数学者の朝』(姜信子訳、以上クオン)、『奥歯を噛みしめる 詩がうまれるとき』(姜信子監訳、奥歯翻訳委員会訳 かたばみ書房)がある。

辻野裕紀(つじの・ゆうき)
九州大学大学院言語文化研究院准教授、同大学大学院地球社会統合科学府准教授、同大学韓国研究センター副センター長。著書に『形と形が出合うとき:現代韓国語の形態音韻論的研究』、共編著書に『日韓の交流と共生:多様性の過去・現在・未来』(いずれも九州大学出版会)、『あいだからせかいをみる』(生活綴方出版部)がある。現在、朝日出版社「あさひてらす」で「母語でないことばで書く人びと」、白水社「webふらんす」で「歴史言語学が解き明かす韓国語の謎」を連載中。


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