これから兵役に就く、大切で素敵な男の子〜チェ・ウニョン著「シンチャオ、シンチャオ」を読んで〜/前田エマ
「推しが兵役へ行く」
「韓国人の友人が兵役から帰ってきた」
私はBTSの音楽と出会うまで、そんな会話を友人から聞いても、「韓国の男の子に生まれなくてよかったなあ」と思う程度の、とても浅はかな人間だった。
なぜ韓国の男の子が兵役に就かなくてはならないのかを考えたこともなく、朝鮮半島の歴史もほとんど知らず「韓国と北朝鮮は仲が悪いから、いつ戦争になっても大丈夫なように兵役があるのだろうな。でも、そんなに急に戦争なんて起こらないだろうし……」今思うととんでもない、ヤバい人間だった。
そんな私が兵役に興味を持つきっかけとなったのが、韓国映画『ペパーミントキャンディー』を観たことだった。この映画では、ごく普通のひとりの青年の人生が、自身の兵役期間中にたまたま体験した出来事をきっかけにして、崩れていく様子が描かれている。青年が兵役に就いていたのは、今から41年前。何も分からず戦車に乗せられ彼が向かった先は、民主化を求める一般市民と、それを押さえつけようとする軍との抗争が繰り広げられていた光州の地だった(光州民主化抗争)。国民が国民を大量に殺したあの日、青年はひとりの罪なき少女を殺してしまう。
BTSの「Ma city」という楽曲では光州民主化抗争のことを歌っており、興味が沸いた私はこの映画を観たのだった。(詳しくはこの連載の2回目に書いた)
「兵役って、北朝鮮との戦争の為だけにあるわけじゃないんだ…」衝撃だった。
二度目の衝撃は「シンチャオ、シンチャオ」を読んだときだった。
この小説は、ドイツで暮らすことになった韓国人の13歳の少女が、ベトナム人の少年トゥイと出会い、尊い友情を育む物語だ。ふたりの父親は同じ会社に勤めており、家族ぐるみの付き合いをするようになる。慣れない土地で心細い少女の家族に、トゥイの家族は愛情を持って接してくれ、どんどん仲が深まっていく。
しかしある日の夕べ、ふたつの家族で楽しくやっていた食事の席で、トゥイの家族がベトナム戦争の生き残りであることが分かる。しかも、トゥイの母親の家族を皆殺しにしたのが韓国兵士だったことや、少女の父親の兄はベトナム戦争で亡くなっていたことも明るみになり、人々の関係が変化していく。
「えー! 韓国ってベトナム戦争に参戦していたの?!! あれってアメリカとベトナムの戦争じゃないの?」無知すぎる私はここから少しずつ、韓国という国の徴兵制度が、どのような歴史を歩んできたのかを知ることになる。
韓国と北朝鮮がまだひとつの国だった1944年、朝鮮半島を植民地支配していた日本によって、初めて徴兵制が敷かれたこと。
南北対立の起源は日本の統治にあること。
朝鮮半島が韓国と北朝鮮に二分にされた朝鮮戦争は“代理戦争”とも呼ばれていること。
朝鮮半島を舞台に、アメリカとソ連が戦争をし、朝鮮の人々はそれに巻き込まれたこと。
日本は朝鮮戦争の特需によって、経済成長したこと。
朝鮮戦争は泥沼化し決着がつかず、約70年が経った現在でもいまだ“休戦状態”すなわち戦争は続いたままなのだということ。
いろいろな本を手に取るなかで、在日コリアンとして日本で生まれ育ったプロパフォーマー・ちゃんへん.さんが、自身の半生を振り返った本、『僕は挑戦人』を読んだ。在日である彼がパスポートを取得する際、韓国か北朝鮮かどちらの国籍を取るのかを、自分で選ばなくてはならないシーンがとても印象に残っている。北緯38度線が引かれたことにより離れ離れになってしまった家族や友人と、再び会うことができなくなっただけでなく、敵として認識しなければいけない朝鮮半島に生きる人々の痛みや怒り、やりきれなさはどれほどのものだろう。南北分断が朝鮮の人々に何をもたらしているのかが、実体験を通してとても優しい言葉で書かれているだけでなく、たくさん笑え、勇気の出る、心を豊かにしてくれる一冊だ。
朝鮮戦争では、現在の韓国はアメリカ側、北朝鮮はソ連側につくことになった。その後行われたベトナム戦争で、韓国はアメリカの同盟国として、30万人を超える兵士をベトナムに送った。貧しさゆえ参戦を余儀なくされた韓国は、ベトナム戦争の特需によりその後凄まじい勢いで経済発展を遂げた。ベトナム戦争に参戦した兵士たちは、当時は讃えられたようだが、枯葉剤の後遺症や、戦争の記憶で苦しむ人も多かった。先日、私は映画館で韓国映画『記憶の戦争』を観た。韓国軍により家族を虐殺されたベトナム人たちが自らの記憶を語り、韓国側へ謝罪を求めるドキュメンタリーだ。自分たちの国が過去に行ったことを認めて償おうとする人たちもいれば、虐殺を認めない人々もいて、かなり苦しい時間が画面を覆い続ける。監督は1990年生まれの女性、イギル・ボラさん。彼女の祖父は自らを“参戦勇士”と称し、枯葉剤の後遺症による癌で亡くなった。
「シンチャオ、シンチャオ」は、かつてベルリンの壁により東西が分断されていたドイツの地で繰り広げられる物語だ。ベトナム戦争も、南(アメリカ・韓国など)と北(通称・ベトコン)の戦いだった。アメリカの敗北によりベトナム戦争は終わり、ベトナムは現在ではひとつの国だ。しかし、朝鮮半島の戦争は終わっておらず、いまだ分断されたままだ。
日本の学校教育では、日本がどれだけ戦争により傷付いたのかは教わるが、他国に対して何をしてきたのかを学ぶ機会がほとんどない。それどころか、縄文時代からねちねち勉強していると、近現代史に割かれる時間が非常に少ない。この「シンチャオ、シンチャオ」は、韓国の高校の国語の教科書に掲載されているそうだ。
近年、兵役をテーマにしたドラマがNetflixでもいくつか配信されている。
『D.P. ー脱走兵追跡班ー』(2021年)は、兵役義務により入隊した青年たちが、いじめやパワハラにより脱走。その脱走兵を捕まえる兵士が主人公の、実話を元にした物語だ。日本の自衛隊でも年間60〜90人ほどが、いじめなどが原因で自殺している現状があるが、韓国では兵役は逃げられない“義務”なのだということに、絶望に似た気持ちを抱かざるを得ない。(日本に暮らす韓国人ラッパー・MOMENT JOONさんによる自伝的小説「三代 兵役、逃亡、夢」にも、生々しい兵役体験が描かれている)
『青春の記録』(2020年)は、俳優のたまごが主人公。自身のキャリアの中で、いつ兵役に就くべきか悩む。人生はどの時間も平等だとは思うが、来年30歳を迎える私でさえ「ああ、20代って本当にすごいな。青春の無謀さと有り余るパワーもまだあるし、学びを深める方法も少し分かってきた感じもあるし、それと同時に全部を手に入れることはできない虚無感もわかりはじめたな……」と感じる。語学や特殊技能などを伸ばしたい人にとっては、特に大事な時期だろう。韓国の男性が兵役に就いている約2年の間に、女性たちがキャリアを積んでいる実情などもあり、女性にも兵役を課すべきだとか、兵役の制度を変えるべきだという声もあるそうだ。しかし、女性兵士が上官のセクハラによって自殺に追い込まれたケースなどもあり、難しい問題は山積みなのだろう。様々な不平等や抑圧は、人の心をどこまでも残忍なものにする。
性別に関わらず、国籍に関わらず、格差にも左右されず、誰もがひとりひとり、自分の人生を謳歌できる世界がやってきますように。大切で素敵な男の子たちが、そんな世界を生きられるようにと願っているし、そうではない今の世界に私は怒っている。
(ヘッダー写真:大野歩)
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前田エマ
1992年神奈川県生まれ。東京造形大学在学中にオーストリアウィーン芸術アカデミーに留学。モデル、写真、ペインティング、ラジオパーソナリティなど、活動は多岐にわたる。また、エッセイの連載を多数手がける。
Instagram @emma_maeda
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