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雑感:ポンペイウスの戦略とイタリア戦役
https://twitter.com/cuniculicavum00/status/1374671518240677888?s=20 1 冬季作戦であることに注目かつてモムゼン(p.326; 336)は、開戦が春まで延びていれば、ポン…
雑感 : 斉射、反転行進、そして古代ギリシア・ローマの弓戦について
古代や中世においては、弓兵が号令に基づいて全く同じタイミングにより「斉射」を行ったかというと、疑問があるでしょう。
小人数の集団であっても、弓を引いたまま長時間待つことは難しい、動く標的へ放つタイミングは個々に異なる、といった不具合が考えられるからです。
cf. Loades, 67f.
とはいえ、少なくとも射撃の開始を号令により統制する場合があったことは史料から読み取れます。
後2世紀の
ローマ人は「ハンニバルが来たぞ」といって子供をおどかしたか?
ハンニバルがローマ人にとってどれほど脅威だったかが語られるとき、次のような話をよく目にします。
「後々、ローマ人は言うことを聞かない子供を「ハンニバルが来たぞ」といっておどかしたという」
古いものから新しいものまで様々な文献において馴染みのある話であり、さらりと読み流してしまいそうになりますが、どうにも引っかかりを覚えて目を止めてしまいます。
はて、そういえば、古代史料でこの話が記されてい
中東における装甲弓騎兵を中心とした戦闘様式について 〜Eduard Alofsによる「イラン的伝統」モデルの紹介〜
1 「イラン的伝統」モデルとは?中世における中東やビザンツ帝国の戦争術は、後期ローマ帝国やササン朝ペルシアなどの古代国家以来の伝統を引き継ぎ、連続した共通の土壌に立っていました。
とりわけ、中央アジアから進出してくる遊牧民と戦火を交えつつ発展した騎射を用いる装甲騎兵の伝統は、この時代の戦争様式を知るうえで重要な主題だと思います。
もちろん、時代や国・地域により実情がかなり異なるのは当然なのです
雑感:古代の騎槍(コントゥス)をめぐる鐙と操法の問題について
【本文】1〜2世紀、サルマタイ人の騎兵は3.6m、時に4.5mにもなる長槍を主に両手で持って使用しました。
強い印象を受けたローマ人はこの騎槍(コントゥスcontus)を導入し、トラヤヌス帝の頃には槍騎兵部隊が編制されていたことが確認されています。
パルティア人やササン朝ペルシアなどを含めた装甲騎兵の装備としても普及していました。
M. Mielczarek(pp.44-47)は、装甲騎兵の
ビザンツ帝国の弓術とニケフォロス・ブリュエンニオスのアポロンの弓
1 序アンナ・コムネナは、自著『アレクシアス』(10. 9. 8)において、夫であるニケフォロス・ブリュエンニオスのひときわ優れた弓の腕前を弓矢の神であるアポロンに擬えています。
ホメロスの『イリアス』に登場する英雄を引き合いに出し、詩句を引用したうえで、夫はそれを上回る神々しい弓の使い手だと称賛するのです。
古典を引用した修辞的な表現であるのはもちろんなのですが、単なる美文ではない意味があるよう
雑感:ポンペイウスの戦略とイタリア戦役
https://twitter.com/cuniculicavum00/status/1374671518240677888?s=20
1 冬季作戦であることに注目かつてモムゼン(p.326; 336)は、開戦が春まで延びていれば、ポンペイウスの方が攻勢に出てイタリアとスペインからガリアを挟撃しただろうと推測しました。
Veith(1906, pp.233-235; p.246)は、それがポン