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「セルビア人は国がバラバラになることを望んでいなかった」

久しぶりに「旅先で聞いてみた」シリーズを書いてみよう。今回の舞台は2017年に旅行したセルビア。

セルビアってどこ?

地理的にいえば、セルビアはヨーロッパと中東の間のバルカン半島に位置している。この地図の赤丸部分。

ヨーロッパと中東の間

セルビアという国の名前にあまり馴染みのない人も多いかもしれない。この国は、僕が学生の頃には存在していなかった。当時、この地域にはユーゴスラビアという大国があり、セルビアはその中の一つの地域。ユーゴスラビアの中では、首都ベオグラードを擁するリーダー的な地位を誇っていた。

ユーゴスラビアについて説明するには、この表現が欠かせない。

7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ、1つの国家

これほど多様な民族が共存していたユーゴスラビア。その中心地だったセルビアが、どういう経緯によって今では知名度が高くない国になってしまったのか?

それには、悲しい内戦の歴史がある。

ユーゴスラビアは社会主義国で、チトーという著名な大統領が治めていた。チトーは抜群のバランス感覚を持った人で、彼のバランス感覚と求心力によってこの多民族国家をまとめ上げていた。

しかしチトーが1980年に死去。徐々に国内の不協和音が高まっていく。

さらに1989年にはベルリンの壁が崩壊し、ソ連をはじめとする社会主義国家が解体して資本主義国家に移行していった。

ユーゴスラビアも例外ではなく、1990年代に内戦に突入して国家が解体してバラバラの国に分割されていった。今では、クロアチア、スロベニア、ボスニアヘルツェゴビナ、モンテネグロ、北マケドニア、コソボ、そしてセルビアという7つの国々にわかれている。つまり、セルビアは今ではそれら小さな国の一つに過ぎない。

セルビアの首都・ベオグラードの街角

なぜセルビア旅行?

この国に興味を持った理由は色々あった。

昔は大国だったユーゴスラビアの首都を見てみたかった、という理由が一つ。他には、ドイツへ出稼ぎに来ていた人たちの典型がルーマニア人やセルビア人。ドイツに住んでいた時には、職場へ掃除に来てくれるおばちゃんがセルビア出身だった。よく掃除中に大声で電話していて、電話が終わったら後から話しかけてきた。

セルビア人のおばちゃん
「いまベオグラードにいる息子と話をしてたのよ、ガハハハハ」

とか言ってたので、一度行ってみたいと思っていた。

旅行で訪れた場所は、首都のベオグラードと、そこから北へ2時間くらいのノビ・サドという街。

どんな人たち?

実際に行ってみると、人々の見た目は、西欧風の金髪碧眼から、中東風の漆黒の髪と瞳を持つ人の間で満遍なく分布していて、「典型的な髪や顔立ち」というのが見いだせない。まさに西欧と中東のグラデーションの国だった。

例えば、旅行中のこと。喫茶店で僕が「コーヒーください、ミルクや砂糖なしの普通のコーヒーを」って注文した。

日本で言うところの「コーヒー」は、ドイツ語ではNormale Kaffee(普通のコーヒー)と呼ぶ。その言い方に慣れていたから、自然にその表現を使った。

そしたら店員さんに苦笑いされた。

セルビア人の店員さん
「普通のコーヒーって何だろう?エスプレッソ(イタリアのコーヒー)も普通だし、トルココーヒーも普通だけど」って言われた。なるほど。

というように、ところ変われば「普通」も変わる。バルカンの「普通」というものは、ドイツの普通と同じではなかった。

ベオグラードのレストラン

セルビア人に聞いてみた

セルビアを旅行中に「セルビアってどんな国?」「セルビア人ってどんな人たち?」って聞いてみた。

すると、だいたい話題は栄光のユーゴスラビア時代からはじまって、その後の苦難の歩みに話が移っていく。特に同じような年代の人たちは同じような話の流れになることが多く、国民の間で同じナラティブ(物語)を共有しているようだった。

ユーゴスラビアへのノスタルジー

聞いた範囲で全員が言っていたのが、この地域における大国だったユーゴスラビアへのノスタルジー。

セルビア人
「昔のユーゴスラビアの方がずっと良かったよ。暮らし向きも良かったし、大国と互角に渡り合える力を持つ国として、世界から尊敬されていたから」

特に終身大統領だったチトーが世界有数の実力を持つリーダーで素晴らしかった、とセルビア人のみなさんが口を揃えて言っていた。

大国に利用されている意識

あと、解体の原因について多くの人が真剣に力説していたのが「大国の陰謀説」。

セルビア人
「ユーゴスラビアは、アメリカを代表とする大国たちの利権のために解体された。なぜなら、大国は他の国が力をつけることを望まない。ユーゴスラビアのような有力な国は邪魔だったんだ。だから大国たちは、ユーゴスラビア内にいるごく一部の愛国心が強い人たちを焚きつけて、次々に各民族を独立させるように仕向けた。その結果、ほらこの通り誰も見向きもしないような小国の集まりに解体されただろ。そして今ではセルビア人の多くが西欧へ出稼ぎへ行って、最低賃金で働かされている。大国にいいように利用されているんだよ」

こういった大国の陰謀説をセルビア人たちが信じているのは、大きな理由がある。

ユーゴスラビアが解体されるにあたって、重要な分岐点となったのがアメリカによる軍事介入。

特に、ボスニアが独立しようと内戦になったとき、ボスニアがアメリカの広告代理店を雇って国際社会へイメージ戦略を展開した。具体的には「セルビア人がボスニア人を虐殺して民族浄化しようとしている。セルビア人が諸悪の根源だ」というPR活動を実施した。

おりしもアメリカ大統領選挙の票集めのために、その内戦が利用された。「窮地に陥っているボスニア人を救うため、アメリカを中心とする国際社会は正義を行使する」とNATO軍を派遣してセルビアを空爆。アメリカ国民に向けてクリントン大統領は「強いアメリカ」をアピールをすることができた。そのようなアメリカの援護によって、ボスニアヘルツェゴビナは独立を果たす。

その5年後にも、今度はコソボをめぐって同じような構図で同じような展開になり、再びアメリカを中心とするNATOがセルビアを空爆。その援護によって、コソボも独立を果たす。

このように、セルビア人はアメリカによって「諸悪の根源」と位置付けられ、国際社会の援護によって仲間だった国が次々と独立して決別していった。当然、セルビア人たちが国際社会に反感を持っているのも理解できる。

セルビアの政治への不信

大国だけではなく、自国の政治についても多くの人が問題の原因があると言っていた。

セルビア人
「ユーゴスラビアから独立していった国々は、人種的にも言語的にも何ら違いはない。考え方も行動様式もみんな全く一緒で、お互いに気持ちの距離は全くない。全ての民族は、バラバラになってしまったことを嫌がっている」


「じゃあなんで、それぞれの国が独立していったの?」

セルビア人
「全ての問題は政治にあるんだ。当時の政治家が大国と協力して、自分たちの国をバラバラにしたんだよ。その見返りに自分達は甘い汁を吸って。今でも、旧ユーゴスラビアの人たちはみんなで大同団結して再び強い国になることを望んでいるんだ。それなのに、現在でも政治家たちが自分の利益のためにそれを阻んでいる」


「例えばどんな?」

セルビア人
「一例を挙げると、セルビアでは政治家が自国の農産物を不当に安く輸出させて、逆に大国の工業製品を高く輸入させている。そして当の政治家たちは大国から便宜を図った貰っているんだ。彼らは大国と組んで自国民を犠牲にする一方で、私腹を肥やしている。他にも、いくらでも例を挙げられるよ。ほら目の前のこの道路工事。コンクリートを掘り返しているだろ。ここは、ほんの数日前まで何ヶ月間か工事をしていたんだ。やっと終わってコンクリートで固めたと思ったら、数日後にはまたすぐに掘り返して、新たな工事がはじまった。こういう意味のない工事をすることで、誰かが便宜を得ているんだよ」

セルビア人以外に聞いてみた

ところで、僕が当時働いていたドイツの職場には、逆にユーゴスラビアから独立していった側のクロアチア出身の同僚がいた。そこで、旅行から帰った後に、ユーゴスラビアの解体についてどう思っているか聞いてみた。

独立していった側だから、セルビア人に対して批判的なのかなー、って思っていたら、意外とセルビア人と同じことを言っていた。

クロアチア人同僚
「あの地域の各民族は考え方も行動様式も同じで、気持ちの距離もないよ。特に若い人たちはその傾向が強い」


「じゃあ、どうしてそれぞれの国が次々と独立していったの?」

クロアチア人同僚
「あの分裂は宗教が原因なの。宗教の違い(カトリック、セルビア正教、イスラム教)によって国がバラバラになっていったのよ」

たしかに「民族の違い」といっても、この地域の人たちは見た目で明確に分類できるような違いは無い。それよりも、信じる宗教の違いについては明確だから、宗教の違いによってグループを形成して分裂していった、という言い方も的を得ている。

セルビア正教の教会

でも、他のドイツ人同僚とお昼休みに僕の旅行の話をしていたら。彼はセルビア人について、ちょっと違うことを言っていた。

ドイツ人同僚
「むかし、クロアチア人の女の子と付き合っていたんだけどさ。彼女はセルビア人の支配から『解放』されて独立できたことを喜んでいたけどね。彼女のセルビア人に対する評価は高くなかったよ」

ということで、やはり批判的な人がいることも事実だった。

まとめ

あなたはどう感じられたでしょうか。バラバラに分割されてしまった国。

もし日本に当てはめるならば。日本で内戦がおこった末に、他国から東京が空爆されて、その結果として関東・関西・九州・北海道・・などの地方ごとに別々の小さな国々が併存する状態、といえるのだろうか。それぞれの小さな「国」が、それぞれの道を歩むことになり。

その中で、特にセルビアは元々ユーゴスラビアの支配的な地位にあった。その後、政治的な動乱の末にみんなが自分のもとを去っていってしまった。そのような歴史を辿った人たちの気持ちとは、どのようなものなのだろうか。

ベオグラードの市場にて

by 世界の人に聞いてみた


これらの国々がひしめくバルカン半島は、本当に複雑。興味ある人はこちらから ↓

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