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「プラハの春」について聞いてみた

【旧社会主義国で育った人たちから2018年夏に聞いた話】

時代を50年ちょっと前まで遡って、1968年当時のこと。この頃、チェコスロバキアでは民主化運動「プラハの春」が盛り上がっていた。しかし、この年の8月、突如としてソ連の武力行使が行われて、プラハの春は強制的に鎮圧された。この事件からちょうど50周年を迎えた時期に(2018年8月)、ヨーロッパの人たちに「プラハの春にまつわる事件についてどう思っているのか」を聞いてみた(*ドイツに住んでいます)。

なお、僕自身に政治的な主張は全くなくて、ヨーロッパの人たちが言っている内容や雰囲気をそのまま表現していること、ご理解願います。

プラハの春とは何か?

当時のヨーロッパ地域は、東西冷戦の真っ盛り。ソ連が中心になって東欧の国々を(強制的に)巻き込んだ上で、社会主義陣営を確立していた。この体制の中で、東欧のチェコスロバキア(今のチェコとスロバキアが分離する前の国)が現状の社会主義体制に対して異議を唱えて、社会改革を訴えた。

チェコスロバキアの人たちの主張を端的に表現すると、
社会主義の理想はともかく、現実の社会では自分たちが考えていることを発言できないような、おかしな方向に進んでいる。民衆の意見が置き去りにされている。だから今一度、社会主義を正しい方向へ見直していこう
という考え。この考え方に基づいて、当時のチェコスロバキア政府トップのドプチェクが中心になって社会改革運動を進めた。これがプラハの春。

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それに対してソ連は

しかし、社会主義体制の「主人」であるソ連から見ると、社会改革など受け入れられない。異を唱えることも許せない。

結局、1968年8月20日にソ連軍などが首都のプラハに侵攻してこの運動を武力で圧殺。最終的にはドプチェクが失脚して終焉した。この事件の後、チェコスロバキアは壁が崩壊するまでの20年以上、ソ連の事実上の支配下で沈黙を余儀なくされた

日本では、2002年に宝塚歌劇でこの事件をテーマにした作品が上映された。また、外交官出身の春江一也氏が1997年に小説化したことでも有名。

さて、この事件についてドイツ人やハンガリー人の友人たちに聞いてみると、さすが近隣の国で起こった大きな事件だったから、聞いた範囲では1人を除いて全員よく知っていた。50周年の記念式典にも興味津々だった。

その中で特に興味深かったのは、ハンガリー人の2人から聞いた話。

ハンガリー人にとってのプラハの春

彼らは学生時代、ソ連の影響下にある社会主義国家のハンガリーで歴史を学んだ。そのため、学校では「ソ連の行為を称賛する内容」として教えられたらしい。

ハンガリー人
「あの事件の構図は、事実と全然違うように位置付けられていたよ。学校でどんな事件として習ったかというと、『アメリカや西ドイツなど堕落した西側諸国が、社会主義国家の成功を妬んだ。そこで卑劣にも優れた社会主義国家たちを攻撃する手段の一つとして、チェコスロバキアのドプチェクを買収して、国民を誤った方向へ煽動しようとした。その陰謀に対して、ソ連の指導部と軍は勇敢に立ち向かう決断をして、友人のチェコスロバキア国民を救うためにプラハまで駆けつけた。そして、首尾よく邪悪なドプチェクを蹴り落とした(Soviet Union successfully kicked him out)。さあみなさん、同じ社会主義国家のハンガリー国民として、勇敢で善意溢れるソ連の英雄的な行為を称えよう!』と教えられた。あの時代の社会主義国家では、ソ連の行動には公式にたった一つの意味しか与えられないんだよ。何をしても『英雄的な行為』以外にあり得なかった」

という当時の話を教えてくれた。

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旧東ドイツでは伏せられたプラハの春

一方で、プラハの春自体を知らない人が一人いた。その人は旧東ドイツの出身。すごく頭が良くて知識も豊富な人なんだけど、、、

旧東ドイツ出身の女性
「プラハの春って、一体ナニ?聞いたこともない。学校でも教わらなかったよ」

彼女が育った旧東ドイツは社会主義国家。おそらく当時の東ドイツ政府が、同じく社会主義国家のチェコスロバキアで起こった反乱について、そもそも国民に知らせない方が良いと判断して、学校で教えなかった様子。各国で判断が分かれたみたいやね。

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当時の東西冷戦について補足

最後に、当時の東西冷戦時代の雰囲気について補足を。冷戦は「冷たい戦争」と言われるだけあって、アメリカを盟主とする西側諸国(自由主義陣営)と、ソ連を主人とする東側諸国(社会主義陣営)は明確に敵対していた。戦争の常として、お互いに相手陣営に対して、マスコミをはじめあらゆる手段を使ってネガティブキャンペーンを行っていた

西側陣営からは東側陣営を指して、「我々西側の自由主義社会では、自由や公正・正義などに価値を置いた透明で健全な社会を築いている。しかし社会主義陣営では、官僚主義や不透明・不正がはびこっている。我々の価値観とは相いれない社会だ」と批判。

逆に東側陣営は西側陣営を指して「西側社会では気の毒なことに拝金主義がはびこり、人々はカネの亡者になっている。犯罪や薬物も蔓延している。残念ながら彼らは人として大事なものを失っている」といった調子で批判。お互いに批判合戦を繰り広げた。

驚くことに、今でも欧州の人たちと話をすると、社会主義体制について感情的に否定的な見方をする人が多い。日本人からすると「そこまで決めつけなくっても」って思ってしまうほどに。

旧東ドイツ出身の女性
「現代の世の中って、社会の中の富の格差が問題になっているよね。上位のわずかな金持ちだけで多くの富を独占しているって。そして、その格差を是正して新しく平等な社会体制を考え直そうっていう雰囲気もある。でもね、そういう新しい平等な社会体制を考えるんだったら、その名称は絶対に『社会主義』とか『共産主義』って単語は使わない方がいいよそのブランドは地に落ちてしまっているから。別の単語を使って新たな看板に掛け直して、イチからブランディングをやり直さないと」

という感じで、欧州の40才台以上くらいの年齢の人たちは、まだ当時の東西冷戦について自分の実感や実体験として肌感覚で理解している。日本人にとっては、実感の薄い歴史のページの一コマに過ぎなくても、彼らにとっては自分の人生の中の重要な一部だったということがよく分かる。

*社会主義について少し詳しくまとめた記事に興味ある方は、以下を参照ください。

ところで下の写真はプラハの教会で撮ったステンドグラス。たぶん地元のボヘミアガラスが使われているのでは。

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by 世界の人に聞いてみた

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