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移民・難民にまつわる個人的な体験を四話

この記事を書いている時点で、ウクライナ人の難民が既に250万人ほどにのぼると報道されていた。

ウクライナの人口は日本のざっくり1/3くらいだから、日本に当てはめれば、700万人以上が難民になっている計算。人数で言えば、たとえば大阪府民の8割くらい、または関東で言えば埼玉県民の全員が難民になった、ともいえる。

・・・そう表現してみても、スケールが大きすぎてちょっと俄かには想像がつかない。

しかも、東ヨーロッパの冬は猛烈に寒い。気の毒に、では済まないほどの境遇だろうと思う。

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さて、僕が最近まで住んでいたドイツでは、他の大陸欧州の国の例にもれず、たくさんの移民や難民を受け入れてきた

例えば、第二次大戦後に炭鉱労働者が不足していた時に、大量のトルコ人を移民としてドイツ西部へ招き入れた。また近年では、2015年にメルケル首相が大量のシリア難民を受け入れた。

というように、移民・難民の受け入れと、彼らを社会へ統合する努力は、延々と続いている息の長い話。移民や難民の子どもたち、つまり二世の人たちでさえ、既にいい歳になっている。

そのため、僕の身の回りにも移民・難民またはその二世がたくさんいたので、そういう人たちと話をする機会も頻繁にあった。

以下では、そういった人たちと話をして、印象深かったことをいくつか書いてみる。

(1)アフガニスタン難民の二世

僕が働いていた会社に、インターンで働きにきていた大学生がいた。ドイツでも屈指の優秀な工学系の大学へ通っている。

彼は、普通のドイツ人よりはいくぶん濃い顔をしていて、どこか人を寄せ付けない雰囲気。彼とお昼ごはんを食べにいく道すがらに話をしていたら、身の上話をしてくれた。

インターンの大学生
「僕の父親はアフガニスタン人なんです。父はアフガニスタン戦争中の1980年代に、戦争難民としてドイツに渡ってきました。そしてドイツで僕の母親(ドイツ人女性)と結婚して、兄と僕が生まれました」

彼にそんな背景があろうとは思っていなかった。僕は、ただ彼が問わず語りに話してくれたことを聞くだけだった。

インターンの大学生
「僕の兄は弁護士資格を持っていて、ドイツのX社(大手の車メーカー)で、労働組合の専属顧問弁護士をやってます。8ヶ国語が喋れて、そのうち4ヶ国語はネイティブレベル(ドイツ語、英語、フランス語、パシュトー語)。残りの4か国語(イタリア語、スペイン語等)も日常会話ぐらいならできます。ちなみに今でも、家族みんなで時々アフガニスタンに住んでいる祖母のところへ会いに帰りますよ。祖母はパソコンが使えなくてスカイプできないから」

ドイツの穏やかなお昼時に、一緒に歩いている目の前の大学生と、アフガニスタンの世界が、どうにも感覚的に繋がらなかった。

(2)チュニジア移民の二世

僕の同僚で、澄んだ水色の瞳が印象的な人。

同僚
「うちの父親は、まだ若かった頃にチュニジアからドイツへ渡ってきました。そして、ドイツ人である僕の母親と結婚して、僕が生まれました。工場で働いていましたが、お金がなくて、昼食は唐辛子ばっかりかじっていたって言ってましたよ。唐辛子は、安くて体が元気になるからって」

一度、そのお父さんとお会いしたことがあった。苦労人っぽくて味のある、すごくいい顔をしているお父さんだった。

(3)アフリカ出身と思われる女性

以前、会社近くのレストランで同僚とお昼ごはんを食べていたときのこと。

僕たちが「国連事務総長だったコフィ・アナンが亡くなったね」って話をしていたら、その話が耳に入った黒人のウエイトレスさんが、ツカツカと歩み寄ってきた。

落ち着いた雰囲気。でも毅然とした口調で、堰を切ったようにしゃべり始めた。

ウエイトレスさん
「知ってますか、コフィ・アナンが埋葬された場所を。彼が埋葬されたのは、奥さんの出身地のスウェーデンなんですよ。本人の出身地のアフリカではなく。どうしてか分かります?なぜなら、彼はアフリカでルワンダの大虐殺が起きた時に、国連事務総長だったにも関わらず、介入せずに放置した。それで大虐殺がエスカレートしてしまった。だから彼に対するアフリカ人からの評判は非常に悪いんです。それでアフリカに埋葬したら抗議運動が起きるのが分かっているから、遠いスウェーデンに埋葬したんですよ」

と一気にしゃべって、颯爽と去っていった。

もう4年近く前の話だけど、未だに彼女の毅然とした口調は覚えている。

(4)クルド人のおっちゃん

お昼休みに会社の外を散歩してたら、道端で道路工事をしていたおっちゃんがいきなり話しかけてきた。おっちゃんはドイツ語しか喋れなかったから、突っ込んだ話はできなかったけど、、、

クルド人のおっちゃん
「オレはクルド人だ。もう30年くらい前に、イラクの領内にあるクルド人自治区からドイツにやってきた。うちには4人の子どもがいてな。今度、一番上の娘が結婚するんだよ。嬉しいねえ。本当に、本当に、今まで苦労してきた甲斐があったよ

って、なんでいきなり通りがかりの僕を呼び止めて、その話をしたのかは謎。想像するに、おっちゃんはドイツの中ではマイノリティーで、同じくマイノリティーであるアジア人の僕だったら話を聞いてくれるって思ったのかな?彼がドイツへ来たのが30年くらい前ということは、ちょうど湾岸戦争の時期。湾岸戦争の難民だったのかなあ。


という感じで、脈絡はないけれども、移民・難民関連の個人的な体験を書いてみた。この記事を読んでくださったみなさまも、移民・難民を身近に感じてもらえれば幸いです。

by 世界の人に聞いてみた

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