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慣れ親しんだ自分の文化を知る

人は自分を理解した深さまでしか、相手を理解できない

水泳パラリンピアンの一ノ瀬メイさんの記事を通じてこの言葉に出会いました。
引用元 https://www.vogue.co.jp/change/article/mei-ichinose-swimming-paralympian

多文化環境に適応するために、自分が慣れ親しんだ文化を理解することは、相手の文化(すなわち慣れ親しんでいない文化)を学ぶことと同様に重要だということを私自身も体験してきました。

慣れ親しんだ文化を客観的に見るという事は想像以上に難しいですし、受け入れ難いことを知ることもあります。

しかし、そこを客観視して知るというのは、文化に適応する力となると考えています。なぜなら、何(What)どのように(How)適応すればよいかが分かるからです。慣れ親しんだ文化のことがよく分からない状態は、この何(What)にあたる部分があいまいな、ふわっとした状態です。

さて、異文化理解という言葉を聞いて、皆さんは何を理解することをイメージしますか?

私のイメージはこうです。(あくまでも私の)

異文化=異なる文化 異なるとは何と異なる?=自分の慣れ親しんだ文化と異なる

ということは、「異文化理解」という言葉自体に自分の慣れ親しんだ文化を知っている事が前提であり重要な要素として入っているという解釈を私はしています。

加えて、多文化は自分の文化も俯瞰して見ている状態と私は解釈しているので、多文化という言葉を出来るだけ使いたいと考えています。

海外駐在や留学などで、ああなんでこの人達はこんな事言うのだろう、こんな行動をするのだろう(ポジティブにもネガティブにも)と感じることがあると思います。そのような時に、よく自分の文化を知っていれば、次のステップを踏むことができます。

ステップ①:私はこういう価値観をもっているけれども、相手はこのような価値観を持っている。=両方の立場を認識できる。

ステップ②:相手には私の言動とこの状況が自分とは違って見えているのかもしれないと想像することができる。=相手から見た自分と置かれた状況を想像できる。

笑顔が好印象を与えると思われている文化とそうでない文化を使って、初対面のミーティングでの簡単な例を挙げると

それぞれの文化の人が接した時の反応は、自分の文化を知っている人とそうでない人で以下のように違います。

自分の文化を知らない:愛想が悪い人だな or ずっと笑って緊張感のない人だな

自分の文化を知っている:私の国では笑顔は好印象を与えるとされているけれど、そうでない国もあるのかもしれない。私ってもしかして笑顔を出しすぎ??or 私の国では真剣な顔が好印象を与えるとされているけれども、そうでない国もあるのかもしれない。私ってもしかして表情が硬すぎ??

自分の文化を知っていると、相手の印象の捉え方と多文化適応へのチャンスがこのように違ってきます。

今回は、自分の文化を知るということについて書いてみました。

最後までお読み下さり、ありがとうございました。


アクロスカルチャーズ のコンセプトにある、違いを知るで終わらない。

この違いの一つは何かというと、慣れ親しんだ文化とそうでない文化の事です。

つまり、慣れ親しんだ文化を学ぶ事もとても大切にしています。


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