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今、無気力に苦しんでいる人へ、何もできない時期があったわたしから伝えたいこと


な〜んにも出来ない時期があった

この記事を書こうと思ったのは、誰でもないこのわたしにも、なーんもできない、なーんにもやる気が出ない、未来への種まきも面倒臭い、ってか未来って何それ、美味しいの?という時期が長くあり、それに苦しんだことがあったからです。

今にして思えば、軽く鬱っぽかったんでしょうね。

その時期は新しいことに挑戦できない自分が嫌で、頑張れない自分が怠惰でみっともなくて、自己嫌悪を募らせてばかりいました。まあ、つらかったです。

その時期を通過して今、思うことは、当時の自分はゆっくり休む必要があったんだ、ということ。
そして、わたしは調子が悪くなってしまった人が陥りやすい「罠」にハマっていて、「自分はダメだ〜」という無駄な自己嫌悪を泥沼させていたんだ、という気づきです。

よかれて思ってやったことも、なんだかうまくいかない。余計に具合を悪くしていくような気がする。

ここで少しわたしの個人的な話をしましょう。

線維筋痛症という病気を20代で患い、寝たきり状態から少しずつ回復して色々なことができるようになっても、何にもやる気がわかない。
あんなに辛いリハビリにも耐えたのに。
自分で自由に動けるようになったのに、やる気がわかず、何もやりたくない、何もできないという無気力状態に陥っていたことがあります。

もちろん最初から無気力状態だったわけではありません。
身体が自由に動くようになって少しの間は回復を喜んで、毎日なんて幸せなんだろうと思っていました。
しかし、だんだんと病気を抱えた自分が一人で出来ること/出来ないことがはっきりわかってくると、「あんなに辛いリハビリを頑張ったのに、健康な同年代の人と同じレベルに追いついてないな…」と思うことが増え、だんだんとやる気がなくなっていったのです。
そして、何もできなくなりました。

今つらくて、建設的なことができない人、それは、あなたがすべて悪いわけではないです。

無気力状態は、あなたのいる環境によって作られてしまう。
そして自分がたまたま調子が悪くて、ネガティブな状態になっていたら−、その状態からなかなか抜け出せなくなってしまうものなのです。 

「セリグマンの犬」という恐ろしい実験から学ぶこと

実験概要について

無気力状態はどのようにつくられるのか、ここではセリグマンが犬を対象に行った心理学の実験について簡単に紹介していきます。

この実験では、犬を2つのグループに分け、電気ショックを与えます。
ひとつのグループでは、犬が電気ショックを感じた時に、顔の横のパネルを押せばその電気が止まるようになっています。

そしてもう一方のグループでは、何をやっても電気ショックを自らの手で止めることのできないグループです。

電気ショックを流した後の犬たちの行動をセリグマンは観察し、大きな違いがあることに気づきました。

電気ショックを自ら止めることができた犬たちは、その後電気ショックを流されても、自ら回避しようと行動しました。
しかし、何をしても電気ショックを止めることのできなかった犬たちのグループは、「何をしても電気ショックを止めることはできない」と学習してしまい、別の実験で電気ショックを流されても逃げようとはせず、ただじっとその電気ショックを受け続けていたのです。

受けた電気ショックの量は同じなのに、その後の行動にどうしてこのような違いが出たのでしょうか。

無気力は学習されていく!?

ここでわたしが強調したいのは、無気力に陥ってしまった犬たちも最初から無気力だったわけではないということです。

最初は電気ショックが流れるたびに抵抗もしたのです。
しかし、次第に自分の行動で電気ショックを止めることができないと理解すると、徐々に抵抗する気力を無くし、ただじっと我慢するしかないと諦めるようになりました。

そう、なんだか思い当たる節ありませんか? 

私はこの電気ショックを与えられている犬たちが、まるで自分自身だと感じました。
ああ、これがわたしだったんだ、と。

自分の行動と結果の間に相関がないことが立て続けに起こると、「何をやっても無駄なんだ」と言う無力感が起こってきます。
そしてその出来事が続くと、今直面している問題だけでなく、未来に起こる課題についても行動する気がなくなるそうです。

このように解決できる課題であっても、解決しようとしなくなる現象を心理学では「学習性無力感」といいます。

説明スタイルの違いで無気力状態に陥りやすいかどうか変わる

セリグマンがいうには、このような「電気ショックから自分の力で逃れることのできない状況」に陥っても、「学習性無力感」に陥るかどうかは個々人の「説明スタイル」で違いがあると述べています。
「説明スタイル」というと難解に感じるかもしれませんが、自分が現実をどう捉えるかという違いですね。

仮に自分に不幸な出来事が起こった時に、
「たまたま、偶然起こっただけだ」と思うか、
「一生この不幸な出来事が続くんだ」と感じるかどうかで、物事の捉え方はだいぶかわってきますよね。

学習性無力感を感じやすい人たちは、「今この不幸はずっと続くんだろう」と考えて、自分の力で目の前の課題を解決できる状況になっても、自分にはできない、自分には無理だ、と考えるようになり、無気力状態に陥ってしまうのです。

わたしが無気力に陥ったのは……

当時のわたしもこの「学習性無力感」の状態に陥っていました。
リハビリを頑張り、できることも増えてきましたが、自分が健康だった時と同じようには動けず、すぐ疲れてしまうことばかり。

最初は前向きに捉えて自分にできる限りのことをやろうと思っていましたが、病気になって年月が経つにつれ、ネガティブな気持ちにな流ことが増えていきました。

同年代は皆、大学、留学、バイト、就活、仕事と人生のステップを進めているのになんでわたしだけ−、という思いは膨らみ、どんどん自分の現状を肯定できなくなったのです。

自分の中の否定的な思い込みを見つめ直した

自分の中にあるネガティブな感情と決別するために、私は心理学やトラウマに関する本を読み始め、何が起こっているのか理解しようと動き始めました。
その中で、カウンセリングを受けたり、日記をつけたり、自分の内面と向き合う作業をしました。いやー、きつかったです。笑
そこで気づいた事は、わたしは何か悪いことが起こったときに、いつもネガティブに捉える傾向があるということでした。否定的な「説明スタイル」を持っているということですね。
病気の関係で、体の調子も悪い時に、不運なことが立て続けに起こって、なおかつ、物事も悲観的に捉えてしまう。
そういった傾向があった私は、セリグマンの犬の実験で言うところの、解決できる問題が起きても、気力が起こらない、学習性無力感の状態に陥っていると気づいたのです。

自分をいじめる「虐待の声」……

あなたは、自分の中に、自分をいじめるような声を聞いたことがありますか?
何かうまくいかないと「お前はまた失敗してる」、「わたしは何をやってもダメなんだ」、仲良くしたいのに人とうまく関われないときに、「自分は1人でいたほうがいい」「お前はまた嫌われるぞ」……etc

私はそういう声がしょっちゅう自分の中に聞こえてきていました。

小さい時から、祖母はいつも不安がっていて、何かしようとするとすぐ心配なのか、ネガティブなことばかりわたしに話しかけてきました。
父は仕事が忙しいのか、家にはほとんど寄り付かず。わたしが成長してコミュニケーションをするようになってからは、父の支離滅裂な行動に悩まされ、時に、暴力的な言葉を投げかけられたこともあります。

わたしは家庭環境が良くありませんでした。
わたしが病気になってからも変わらずで、父は、自分の機嫌が悪い時に寝込んでいる私にしょっちゅう言葉で暴力を働いてきました。

そういった刷り込みがあったかでしょうか、
わたしの中に、自分をいじめる/虐待するような行為が根付いてしまったのです。

本当は自分が1番大切にしてあげたいのに。
自分が何かしようとすると、勇気を出して挑戦しても、自分自身のことをいじめるような声が出てきていたのです。

自分をいじめる虐待の声と決別する

不思議なことに、自分をいじめる声が、本来の自分の声とは違うものだと気づいた時から、その声に負けることがなくなってきました。
わたしが本当に思っていることじゃないんだ、誰かからの刷り込みを自分の声だと誤解しているだけなんだ、と気づくことが「虐待の声」と決別するために必要なようでした。

自分以外の誰かに「お前って〇〇だよな」「〇〇ちゃんてこういうところあるよね」なんて言われると、だんだんそういう気がしてきませんか?
私は家族関係の中で言われた、ネガティブな発言を自分の心の中に無意識のうちに取り込んでいたのかもしれません。
そのことに気づくのにだいぶ時間がかかってしまいました。

『ふだん使いのナラティブ・セラピー』という本の中で、
パートナーとの暴力的な関係から逃れた女性が、その後虐待の声に悩まされ、どのように克服したか語るインタビューが紹介されています。その中で、女性は、以下のように飾っています。

「…私はかつて「虐待の声」が真実を語っている。それは私の頭の中を流れる実況放送のようでした。しかし、それを「虐待の声」と名付けると、あらゆる違いがもたらされました。それによって、私は声と自分自身とを分けられるようになったのです。よって何が本当なのかについて、自分自身の理解にたどり着くこともできました。驚くべき発見でした。これは支配の逆転に関わります。過去の出来事はもう私を支配することがなくなりました。逆に私は、様々な方法で制御できるようになったのです。」

今何もできない人へー「あなたの無気力は学習されたものかもしれない。」それはいつか消えていくから。

やる気がなくて、何も行動することができない、
何かをやろうとしても心の中で「そんなの無駄だよ」「どうせ失敗するよ」と言う声が聞こえて、億劫になってしまっている……
そんな人に伝えたいこと。
それはー、あなたの持つの可能性を信じて欲しいということです。
そして、無気力になってしまったのは一時的にパワーがなくなっているだけかもしれません。
自分を責めずに充電期間だと思って、ゆっくり休んでほしいです。

セリグマンの犬の実験には続きがあります。
それは「無気力」を学習した犬たちを治すための趣旨で行われた実験です。

セリグマンはあることを発見しました。
それは電気ショックを流され耐えるしかない、もう何もできないと諦めてしまった犬たちも、強引にでも彼らを動かして自分の力でその電気ショックから逃げることができれば、少しずつ回復していくということでした。

つまり、
自分の行動が環境を変える、
行動によって自分の望んでいる結果が出る、と学習することで、無気力状態から脱却することができたのです。

「自分でもなんとかしたいのに、どうしたらいいかわからない」「ゆっくり休んだはずなのに、怖くて前へ進めない」と悩んでいる人は、誰かのサポートを借りて前に進んでみることも必要かもしれません。

「無気力」という状態は学習されたもの。
あなたが最初からそうであったはずではないように、少しずつその氷のような状態は溶けるはずです。

だから、自分の可能性を信じ続けてみてください。

さいごに➖わたしはどうやって無気力から脱したか➖

無気力状態から脱するために、わたしは自分の内面を見つめることから始めました。
でも、その行動を起こすのだってすごく時間がかかりました。
どうして何もやる気が起きなくて辛かったのに行動できたのだろう、と考えると、ふだんリハビリで通っていたプールで声をかけてくれる他の利用者さんのことが頭に浮かびました。

更衣室でわたしを見かけるたびに「いつも頑張っているね」と声掛けしてくれていたおばさんたち。

彼女たちとの触れ合いがわたしの崩れそうだった心をギリギリで保っていたのかもしれません。

無気力でつらい人へ、もしできるなら、自分に優しい言葉をかけてくれる人たちを探してみてください。
きっと誰かがあなたをサポートしてくれると思います。

※参考文献

外山美樹,『勉強する気はなぜ起こらないのか』,ちくまプリマー新書,2021年

D.デンボロウ,『ふだん使いのナラティブ・セラピー』(小森康永・奥野光訳),北大路書房,2016年

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