隣の席に座っていたはずのあの人が、気付けば隣の車両に移っていた。 なるほど。歩けばまだ届く距離だ。 隣の車両に座っていたはずのあの人が、気付けば更に隣の車両に移っていた。 なるほど。見えにくいがまだ届く距離だ。 電車は駅を出発する。 あの人の姿は見えないが、まだ隣の隣の車両に居るんだろう。 そしていま、並走する路線を眺めている。 隣の隣の車両に座っていたはずのあの人を眺めている。 手の届かなくなったあの人を眺めている。 別々の終点へ向かうあの人を眺めている。
「君も私も過去に生きていた先祖がいたからこそここにいる。例えば君の親を1代上とするだろ?じいちゃんばあちゃんは2代上だ。そうやってどんどん先祖にさかのぼっていったら10代上の先祖は何人だ?」 何の気なしに覚えていたものが全然関係のないタイミングで役立つということが結構あります。 私は以前住んでいた町でとある団体の代表をしていました。いや、今も代表なんですけど。 もともとは、一番面白い地域おこしや町おこしのアイデアを考えた人に100万円あげます!っていう市役所のコンペティシ
これは気楽でいいな!
草の穂は雲を扇いでゆく影二つ 人が死ぬまでに出会える人数は約3万人ほどだそうです。 多いのか少ないのかわかりませんな。 最近は人とのつながり方も多様化してきて、それ故か簡単に縁を浪費していることもしばしば。今の私には3万分の幾ら残っているのでしょう。 そりゃ3万人も居れば合う人合わない人って居るわけでして、割合でいえばきっと合わない人のほうが多いのだろうと思います。 だからこそ。 この人は合うな、と感じた人に出会えた。それはなんて幸せなことなんでしょう。 相手が同じことを
「どう伝えようか悩むのよ。短編小説を書こうかなと思ってもアイデアだけが溜まる溜まる。どうにかならんもんかな」 都会の隅っこにあるカフェテラス、隣に座る男が私へ話しかけるように独り言をつぶやく。何故独り言とわかるのか。そりゃそうだ、私はこの男が誰なのか知らないのだ。 数分前。 「は〜い、そこの可愛い子猫ちゃん。今ひとり?隣いい?よいしょっと」 こちらの返答も聞かずに隣に座る男。これがナンパというものか。生まれて初めての体験を今からするのだと思うとやや緊張するが… どうも納得
人生にセーブ&ロードがあればなって時々思います。 選択の先に出来た人格が今の私か? 私という人格がその選択をしたのか? それを考えればキリがないけれど。 小学生時代の親友へ。 陰で俺の悪口を言っていた理由ってただ好きな人が同じだっただけらしいね。 君と喋らなくなっただけでクラスの女ボスとその取り巻きが俺たちのこと心配してたね。あいつら中々優しかったじゃんね。 中学生時代の親友へ。 陰で俺の悪口を言っていた理由ってただ好きな人が同じだっただけらしいね。 君と喋らなくなった
私、子どもと関わる仕事をしております。 ここ最近の仕事の雑記を短歌で。 私ワコールメンというパンツを8着持ってるんですが、そのうちの1つが金色なんです。いや、たぶん黄色なんでしょうけどどう見ても金色なんです。 それを着けていくと何故か子どもに好かれやすいんですよね。何故なんでしょう? もしかするとパンツの金色がパフォーマンスに出るのでしょうか。若々しく輝いているのであれば幸いです。
承認欲求モンスターはふと気づいた。 他者の承認や称賛で得たエネルギーは結局他者の新たな承認や称賛を得るために消費されていることを。 承認欲求モンスターは気づいた。 自己の承認で得たエネルギーが自己の承認のために消費されていることを。 承認欲求モンスターは気づいた。 自己承認のエネルギーのコストパフォーマンスが他者の承認に比べて段違いに良いことを。 承認欲求モンスターは分類した。 他者の承認のためにしていた営みと自己の承認のためにしていた営みを。 承認欲求モンス
2013年の日記が出てきた! この年は色々なことがありました。 折角だから抜粋して見てみましょう 懐かしい。 この頃は本当に不安定でした。 元々なりたい職業があったので、それになれるどっかしらの国公立の大学受けて受かって大学生になるぞーなんていう甘い考えを持っていましたが、センターの結果が思わしくなかったんですよね… ま、結局受験は成功するんですけども。 懐かしいなあ。 また載せます。
ChatGPT入ってるアプリに作詞をお願いしてみた。 想像を掻き立てられるねえ。
ムリしてクールぶってもバレてるからね。 そういうところもいいよね。 なんて言われた日には、もう、
こんばんは。 好きな人の好きな人になれるとは限らないっていうのは中々難しいものですよね〜… だからこそこんな自分を選んでくれてありがとうっていう気持ちも生まれるんだと思います。 その気持ちはずっと持っているはずなのに何故何度も失敗してきたのやら… 今度は間違えないようにしないとなと思うばかりです。 大切な人になれると限らずに 只さようならだけが平等
こばわ。 サンリオのケーキ食べまして、 これ。 ポチャッコ。 しかしこれ崩さんと食えんわけでして。 仕方無しに。おりゃ。 もう見る影もない。 こうなったときっていつまでがポチャッコなんでしょうかねえ。 スプーン刺す前かなあ… 刺さっててもぎりぎりポチャッコな感じするけどねえ… そんな感じで夕空にも思いを馳せるんですよ。 いつまでが夕方でいつからが夜なんだろうなあ…
そもそもが気分屋で、先々のことに見立てをつけるのが苦手で、感情的で、早とちり激しくて、腰が重い。 そんな私です。 昔から物事に優先順位をつけるのが苦手で、目の前にあるタスクが何なのか、どれから始めたらいいのか、いつ終わるのか、さーーっぱりわからない。 勿論タスクの同時進行なんてできるわけもなく。 一つ一つの仕事を全力で片付けて、次の仕事を片付けて、の繰り返し。 難しいのよね。 色々中途半端にしてるように見られちゃうんだよね。 こちとらずっと全力なんだけどね。 その全力
10年前の今日。 大学受験のため少年Qは住み慣れた北の大地から東北へ飛んだ。 それはまあまあ箱入り息子であった少年にとって初めての一人旅であった。 泣きそうな母を背に、搭乗ロビーへと向かう少年。 不思議と緊張感はない。 受験もさほど心配ではない。 何の根拠もないが受かる気がしたのだ。 当時の自分よ、 予想もつかないことを言おう。 10年後、君はまだ山形にいる。
テルマエ・ロマエIIを見ている。 揃いも揃って濃い顔のキャストだ。 友人からは、お前もテルマエ・ロマエに出ているんじゃないのか、なんてよく言われたものだ。 でも温泉っていいよなあ… すぐ近くに温泉が幾つもあるところに住んでてよかった。 遊びに来てよ。