死んでしまった父へ(おおよそ1周忌に寄せて)
今朝、起きたときに布団の中で気がついた。
「あ、1年前のちょうどこのくらいの時間に、パパが死んだんだった!」
すると、1年前のことなのに、昨日のことの様にありありと、あの日、あの時のことが蘇ってくる。
ちょうど、私がいま寝ているこの部屋のベッドの上で、父は亡くなったんだ。
私は父の寝息が聞こえるベッドの近くに布団を敷いて寝ていた。
毎晩、夜中に起きて、何度か痰の吸引をしなければならなかったからだ。
朝になったので寝たままの状態で襖を開けて
「パパおはよ!」
と、一言。父の顔を見た。
普通にこっちを見ているので、その時は父が生きてると思ったのだけど、どうだったかはわからない。
そもそも父は話すことができなかったので、反応はいつも薄い。
その時点では全く異常は感知していなかったし、生きてたのではないかと思う。
生きてると思ってたから
「おはよう!パパ、おかえり。家はいいでしょ〜?」
と、声をかけた。
私たちがコロナに罹かったので、父は2週間近くいつもお世話になっている施設にステイさせてもらい、前日帰ってきたばかりだったのだ。
寝床から起きて、息子のお弁当を作り、朝食の支度を終えて、父の世話をしようとベッドの近くに戻った時に
「あれ?」
と、思った。
「なんかヘンだ」
父がこちらを見ているのだけれど、なんか違う。
言葉でなんとか表現するとすれば
「動いていた時計が止まったままになっている」
みたいな感じ。
それで近づいて顔を覗き込んでみたら、瞳孔が大きく開いていた。
私は瞳孔が開いた状態というのを初めて見た。
洗面所で身支度をしている息子に向かって大きな声で言った。
「パパが死んじゃった!」
いつかはやって来ると思っていたけど、こんな呆気なくやってくるとは思わなかった。
母のときはわかりやすかった。
あの時も私は1人きりで見送ったんだ。
病院のベッドで機械に繋がれていた母。
最後に大きく息を吸うと
「ピッ、ピッ、ピッ」
という音とともにグラフを描いていた針が止まり
「ピーーーーーツ」と直線を描いた。
それで母がいまこの瞬間に亡くなったのだとわかった。
私が母の額を撫で、手を握るなか彼女は天に召された。
この世界で私と母と2人きりの空間が切り取られたように感じた。
とても荘厳な時間だった。
その時の空気は、なぜか息子が生まれた時、病室で私と息子が2人きりになった瞬間の空気と似ていた。
私は母の手を握りながら、その時のことを思い出していた。
朝方の静まり返った病院に異常を知らせる音声が
「ホワンホワン」と鳴り響き、
同じ階の皆さんにご迷惑をかけるのではないかと
「早く止まれ」
と思ったのを覚えている。
でも機械に繋がれていない父は、どこが最期の瞬間だったのかわからない。
父の体に触るとまだ普通に温かかった。
「父は家に戻ってくるのを待っていたんだ」
そう確信した。
昨日、帰ってきたとき、父は喋れないながら、ウォーというような小さな雄叫びをあげて玄関をくぐったのだ。
部屋に戻ると、車椅子から、壁にかけてある絵を確認してた。
「戻ってきたぞ」(キョロキョロ)
という感じだった。
頑張って持ちこたえて帰ってきてくれたのだね。
私も息子も父の帰りが本当に嬉しかった。
ベッドに寝ている父を取り囲み、3人でわちゃわちゃと写真を撮ったり、握手したり、ハグしたりして、歓迎会をした。
なのに、その次の朝、父はあっと言う間に逝ってしまった。
「ありがとね、もう行くね」
と言う感じで呆気なく。
その時がきたら、どんな気持ちになるのだろう?
私は泣き叫ぶのか?
それとも解放されたような気持ちになるのか?
何度もシミュレーションしたけど、わからなかった。
でも、実際には「ポカ〜ン」という感じだった。
気が抜けたように、しばらくの間、なんの感情も湧いてこなかった。
父が亡くなって1年が経った。
この1年、何度も父の事につき文章を書こうと思ったけど、なんだか気が進まなくて、書けなかった。
そして1年も経てば気持ちもスッキリしてくるのかと思っていたけど、そんなことはなかった。
むしろ喪失感は思いのほか大きく、心に靄(もや)がかかった状態がずっと続いている。
ふとした瞬間に涙が出そうになる。
悲しいと言うのではなく、寂しいと言うのでもない。
強いて言えば「虚しい」のだ。
父のそばで2年半、1人の人間の人生の終わりに付き添った。
あんなに元気で、毎週テニスに行き、きっと100歳まで生きるだろうと思っていた父の人生がこんな形で終わることになったこと。
好きだったことを全て奪われ、動けない、食べられない、話せないという状態で生きることになった父の姿を見続けたこと。
それでも最後に残るのは愛だよな、とか思いながら、在宅介護は想像をはるかに超えて壮絶に大変で、女神さまのように無償の愛を24時間捧げ続けられるわけではなく、やっぱり私はまだまだだなあとか、もっとこうしてあげられたなあとか、そんな思いが残ったこと。
とか言いながらも、ずっと海外にいたり、離れて暮らしていた私がこうやって父と最後に暮らすことになった縁と、こうして近くでお世話させてもらい、自分の不甲斐なさを含め、いろんなことを学ばせてもらったことへの感謝。
そして、ただただ私は小さい頃から父のことが本当に好きだった、なんとなく辛いことが多かった幼少期に父は太陽のような存在だった、と思い出したこと。
そんなことがグチャグチャになって、でも一言で言えば
虚しい。。。
そんな感じの最近だったのです。
けれども、そんなことを言っていても仕方ないし、パパ、私、頑張るわ。
介護の経験もみんなにシェアしたら参考になる人がいるかもしれないし、いろんなこと経験して少しだけ成長したから、ドゥーラや、バイオグラフィーワークもずっと続けて、周りのみんなと明るく、未来に向かって生きていくわ。
そして、この世を思う存分生き切って、もう一度パパに会えたら、散々
「あのあとこんなことやったぞ!」
とか自慢して、最後に
「ありがとう」
ってもう一度言うから。
だからさ、もうしばらく待っててね。
。。。と、ここまで書いて、命日が今日ではなく明日だったと気づいた。
びっくりだよ。
と言うことで、おおよそ1周忌に寄せて。
パパ、聞いてる???
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