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1980年11月 とても好きさ

秋というと、中学の時、夏休み明け早々、運動会の行進の練習を何度も何度もやらされたイヤな思い出があるのだが、二年に一度の文化祭は、練習を含め楽しかった思い出が残っている。

中3の文化祭は、ライブハウス。教室の窓に暗幕を張り、机を固めて並べ、その上に柔道の畳を乗せ、ステージを作った。
我々のグループは、ブラスバンド部のトランぺッターR君を入れ、この年デビューし大ブレイクした、シャネルズの「ランナウェイ」を歌った。
メンバーの兄貴から借りたグラサン、学ランの襟を内側に折り、ノーカラー・ジャケットのようにし、ポマードで髪をキメて、顔はドーランで黒塗りだ。今のようにカラオケが簡単に手に入らず、親友N君のギター1本の演奏、リードボーカル、3人のボーカル・コーラス、トランぺッター、いわゆるアンプラグド(ちょっと違うか)、私はバスボーカルだった。
ステージに登場した時は笑いが起きたが、歌い出すと意外とウケて、振り付けもまあまあキマり、生トランペットの間奏では歓声があがり、アンコールまでかかった。
アンコールの声を聞きながら、ステージ裏(廊下)に下がって『やった、やった』と喜んでいたが、練習時間が足りなかったので、レパートリーがなく、アンコールには応えられなかった。
その時期のシャネルズは、アルバムもリリースしていたし、シングル二曲目の「トゥナイト」もヒットしていたので、アップテンポの曲もやりたかったなぁ。
ライブハウスは、大盛況で終わり、夕方に後夜祭というか打ち上げで、近くの海へ行き、ライブハウスで余った軽食やお菓子、飲み物をバカ話をしながら食べたのも思い出だ。

『文化祭の練習で使う』、『文化祭本番で使う』と理由を付けて、文化祭前から教室に持ち込まれていたラジカセやギターを、文化祭の期間が過ぎても持ち帰らず、休み時間、放課後に聞いたり、弾いたり、歌っちゃったり、竹の子族ごっこしたり・・・受験勉強から逃げたいのもあったんだろう、特に放課後は、遅くまで盛り上がっていた。こちらも文化祭と同じくらい楽しかった。
“青春”という言葉は、照れくさくて、あまり好きじゃないのだが、ホント青春してたよね。

Martinさんこと鈴木雅之さんの曲が、カラオケの持ち歌になったのは、この文化祭から約10年後のことだ。この時はコーラスではなくリードボーカルだよ、念のため(笑)

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