Why Global Governance? ~タリバン政権復活から見る
コロナウイルス感染拡大のニュースで溢れかえる中、タリバン政権復活のニュースが報道された。アフガニスタンの難民が滑走路を走る飛行機を追いかけるという衝撃的な映像だった。その頃、国際関係や政治に関心がある学生が多い我が大学の友達は、早速SNSでアフガニスタン難民の現状、過去にタリバン政権が行った人権を無視するような政策を発信し、世間の関心をあげようとしている。私も取り残されまいと新聞を開いた。
新聞を読んでいて私が興味を持ったのは、各国のタリバン政権に対する姿勢の違いだ。タリバン政権が会見で女性の権利尊重などの方針を打ち出したが欧米諸国は懐疑的であるのに対し、中国やロシアはタリバン政権に対して協調的である。特にロシアの主張は興味深いものだった。
「欧米は自らの価値観を他国に押し付け、世界を一極支配しようとしている。」(2021年8月19日 産経新聞)
なるほど。「民主主義、男女平等が実現された世界」と疑いもなく抱いていた世界の理想像は、欧米が、あるいはキリスト教圏がもたらした考え方であり、西洋の価値観や文化が世界の「当たり前」「標準」になっていることを批判しているのか。
イスラム教圏とキリスト教圏の考え方の違いの事例を考えよう。例えばイスラム教圏のイランでは公共の場所に男女が一緒になることを良しとしないため、女性のサッカー観戦が禁止されていた。またイスラム教圏では、女性は公共の場では必ずヒジャブを巻かないといけない。これらは女性に対する不平等な扱いだ、という声はよく聞くだろう。でもイスラム教の考えとしては、美しい女性を婚姻関係のない男性から守るためにこのような方法をとっているのだ。西洋の考え方が一般的になっている国から見た「ヒジャブ」とイスラム教圏が信じているヒジャブの役割は全く異なるものになる。
このような思想的、文化的な違いで溢れる世界をどのように私たちはGovernしていくのか。人々は違いを受け入れてどこまで寛容になることができるのだろうか。自分たちの文化を押し付け合うのではなく、知ってもらいたい、また他の文化を学ぼうとする謙虚な姿勢を持つことが必要だろう。その人の立場に立とうとしないと、違ったものの見方はできないものだ。
"You never really know a man until you stand in his shoes and walk around them" Atticus Finch, To Kill a Mockingbird