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【よどみの探究:第4回】研究者以外の研究の「入口」や関わり方はもっと多様化できるのではないか?

ある土曜日、抱志は落語家・悠楽亭晶麟(ゆうらくていしょうりん)の講演会の会場にいた。晶麟は今年42歳で、斬新な解釈を加えた古典落語だけでなく、大学で現代アートを学んだという経歴も生かして既存の落語の枠にとどまらない活動をしている。特に、観客とのコラボレーションやAIなどの技術を採り入れた即興の新作落語づくりの試みを精力的に行っている。今日は講演の前に晶麟の落語はもちろん、参加者を巻き込んだ新作落語ワークショップも盛り込まれた半日がかりの内容であった。抱志にとっては特にワークショップの内容は自身の活動とも重なるものでもあり、普段は自分自身が運営に関わるワークショップを開くことの多い土曜日にわざわざ予定を空けて参加したのである。

その帰り道、徒歩では距離のある会場の最寄り駅まで歩く最中に「振り返り」が始まってしまい、抱志の落ち着かなさがピークに達した。
「このタイミングで、か……このまま帰るのは避けて、まずは頭を落ち着かせよう」
抱志は近くのカフェに駆け込み、大きなサイズの紅茶をオーダーした。そして、いつも持ち歩いているノートPCは家に置いてきたので、今日はスマートフォンにキーボードをワイヤレス接続して「振り返り」の中身をまとめ始めた。


悠楽亭晶麟がどのようにこのような表現の世界にたどり着いたのか興味があったので講演会に参加したのだが、大学で学んだ表現手法ばかりでなく、落語家の前座時代の「下積み」で学んだこともかなり大きかったということが何より印象的だった。

  • 楽屋の師匠をはじめとした出演者の雑談の中にこそ、落語の面白さが詰まっている。その雑談を気持ちよくできるようにするためには、師匠方の気分を損なわないような気配りのある雑用(楽屋の掃除、身の回りの品の整理、お茶汲みやお遣いなど)ができることも前座の大事な役割だと感じた。

  • 落語家はその日のほかの演者の演目や、寄席の空気を読んで自分の演目を決める必要がある。そして高座に上がってからもどのようなハプニングがあるかわからない。そういった即興性の要素を自分の芸に織り込んでいけるのが上手い落語家の条件である。

  • このような雑用や即興性が求められる芸にも落語家の個性がにじみ出る。大学までアメリカンフットボールの選手だったという晶麟の兄弟子は力仕事が得意なだけでなく、弟子同士が連携して取り組む必要のある仕事を仕切る時にも選手時代の経験が生かされた。また、親の会社を継ぐ予定で仕事を手伝っていたが落語家に転身した弟弟子は、即興の芸が苦手だったものの事務仕事やお金の管理などの仕事に「一芸」を発揮しており、その堅実さを生かす芸をすればよいとされ師匠から一目置かれることもあった。

  • 観客とのコラボレーションやAIを活用した即興の新作落語づくりは、古典落語をまずしっかりやるべきと考えている師匠たちからの批判を避けたいので寄席ではない場所でひっそり始めたのが最初だった。ほかのジャンルのお笑いや演芸の芸人、アーティスト、ワークショップデザイナーといった人たちと交流しながら、新作落語づくりの型をつくっていった。そういった人たちに落語としての面白さを伝えるのもその一方で大変だったが、手応えを得たところで若手落語家のみの興行の日に寄席でやってみたら好評を得たので、寄席でもたまに演るようになった。新作落語はあくまで「副業」的な芸と考えているものの、いい意味で古典落語の型を破るヒントにもなっているので、自分にとっては大事なライフワークである。

ワークショップの運営に関わる立場ながら、私は独学や教室での座学の経験が多い立場だったので、このような徒弟制での学びや、「副業」的な学びという視点は興味深かった一方で、私のワークショップが目指している市民参加の科学という観点からすると課題も浮かび上がる。
市民参加の科学は、データをとる、ものづくりをする、あるいは直接研究活動に関わらずともクラウドファンディングに出資する、……というある程度決まったパターンになりやすくなっているのではないか。これらの取り組みも大事なのだが、研究活動はいわゆる学校で学ぶような学び方や探求のしかただけで成り立つものではない。実験・調査の現場を準備するにはいろいろな人と交渉する必要があるし、広報活動をする、人脈を広げる、さまざまな市民が集まった現場を仕切ったり盛り上げたりケアしたりする、……といったスキルも大事である。
市民参加の科学における研究プロジェクトを運営するにあたって、プロジェクトのコアメンバーがどこまでこれらの取り組みも担う必要があるか、そしてこのようなスキルを生かせそうな市民がどのような立場で関われるか、という課題はある。さらに「研究? あなたが? 何か怪しいことでもするの?」と周りから思われそうと恐れながら参加しようとする市民も現れるかもしれないので、そのような市民の関わり方も考慮する必要がある。このようなスキルを生かせる市民が一方的な搾取にならない形で関われるようにしたり、そういった市民にも研究の進め方の意見を訊いてみたりする体制をつくることが、今後大事になるかもしれない。


「……急な『振り返り』は我ながら困るな。スマホの小さい画面もなかなか慣れないし。まだ引っかかることがある気もするけど、もうこんな時間だし帰るか」
気づけばラストオーダーの時間も過ぎてカフェの客は抱志ひとりである。3分の1ほど残っていた冷めた紅茶を飲み干し、抱志は店を後にした。

より深く知るための文献ガイド

今日野川抱志が「振り返った」世界に興味を持った方へ、関連する文献を紹介します。

科学技術社会学(STS)
市民参加の科学(市民科学、シチズンサイエンス)の背景として、科学と社会の関係が現状どうなっているかを知る上で参考になる文献としてまずこちらの本を挙げます。そもそも科学とはどういう営みか、研究の当事者でない市民を科学の専門家はどう捉えてきたか、その見立ては妥当といえるのか、そして市民が研究に参加する事例が増えるにつれどのような現象が起きているかがまとまっています。

市民科学のすすめ
市民参加の科学について、国内外のさまざまな事例の紹介を通して理論的背景とその広がりについてまとめています。市民参加の科学の中で、市民が研究のプロセスに関わる場合「データの取得や提供」を入口とするのが基本になっています。研究のプロセスの正確さ・厳密さを守ることはもちろん重要ですが、これを守りながら市民が研究に関わる入口を多様化させる道を探れないかという考えが、今日の「振り返り」の背景にあります。

「クリエイティブ」の処方箋
アーティスト視点で思い込みの枠を外して創造的に考えるための具体的な手法を紹介した本ですが、科学者の創造的思考にも具体的なエピソードとともに言及しています。また個人の思考にとどまらず多様な他者をどのように創作活動に巻き込むかなどにも触れられており、市民参加の科学を考える際にも参考になる点があると考えます。

他者と働く
この本は組織の中で活動する人々の間に「溝」が生じる原因に着目し、他者との対話を通じてこの「溝」の原因に向き合い、「溝」の向こう側の他者の状況を知り、「溝」を越える橋となる新たな関係づくりを試みるかを論じています。市民参加の科学に取り組むコミュニティにそのまま当てはまるとは限らないので対話のしかたを吟味する必要もありますが、このような関係づくりの中で市民参加の科学の方向性の再定義が求められるかもしれません。

学びのコミュニティづくり
職場や学校という括りに必ずしも囚われず、自発的にあるテーマ・目標に向かって学ぶ人々のコミュニティである実践共同体での学びの構造・プロセスを分析し、実践共同体との関わり方、実践共同体での学び方、実践共同体の運営のしかたを解説しています。市民参加の科学における市民の役割を考える上でもヒントになりえます。

著者プロフィール

橋口 七(はしぐち なな)
研究の新たな可能性を模索する「研究の研究家」。「研究者」ではなく「研究家」を名乗るのは、研究をある種アマチュア的な視点で捉えることが大事と考えるからでもある。
既存の研究の枠組み、価値観、評価体系や研究に関わる人のキャリア形成に違和感を持つ中でシチズンサイエンスと出会い、研究者の立ち回り方、市民の研究への関わり方の可能性を開拓する必要性を痛感する。知ること、学ぶこと、探究することへの自覚と価値を掘り起こすための表現活動とその反響を通して「研究の研究」を進めている。

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