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強さを願うとは、弱さを許す事


段ボール箱の重なった底の部分に、白い紙切れを見つけた。

『強さを願うとは、弱さを許す事』

その紙切れの後ろに、ついさっきどこかで見たようなオレンジ色をした小さな付箋が貼ってあった。

"あなたの部屋を掃除していたら見つけました。
昔のあなたの言葉が、今のあなたを救う事だってあるでしょう。
伸太郎、自分を信じて頑張りなさい。"

気づけば声を出して泣いていた。

止めどなく流れ出る涙をそのままに、ただ大声で、声が枯れる程に泣いていた。

滲んだ先に見えた焦茶色の机に引かれるようにして、そして僕もまた糸を引くようにして、ゆっくり、ゆっくりと辿り着く。

手に取ったペンを思いのままに動かした。
仄暗い四畳半の部屋の中には、紙とペンの摩擦音だけが確かに響いていた。


鈍色の日〜セレナーデより〜


歌手のUruさんが2022年に初出版した書籍です。

冒頭に記述したのは物語の一部を抜粋させていただいたものなのですが、これは自死を決意した男性が、実家で暮らす母から荷物が届くことから紡がれていく物語です。


『強さを願うとは、弱さを許す事』


私はこの30年間を生きてきて、何度も何度も人生に躓き、その度に「強くなりたい」「なんでこんなに自分だけ弱いのだろうか」と思うことがありました。
もっと私より長い人生を歩んでいる人から見れば、大したことじゃないのかもしれません。
ただ、そう思わなければ自分自身を失ってしまう気がしていました。

ただこの言葉に出会って、私の考えが少し変化したような気がしました。

年々歳をとって生きていくのがこんなにも大変だと知った時、どれだけ忘れたい過去があって忘れられず苦しくても、それでも「生きていきたい」と思った時、最後に残るのはその自分を信じられるか、愛せることができるか、だと思ったんです。

自分自身を信じること、愛することをやめてしまったら、強さも弱さもそこには無くて、空っぽになった身体しか残らない。

明日を生きることは簡単なことではなくて、時には傷つき崩れていく。
けどそれでも立ち上がって私たちは生きている。
なぜなら、また「明日を生きたい」とどこかで望んでいる自分自身がいるからです。



無様でもいい、格好悪くたっていい、だってそれも含めて自分なのだから。

それが「弱さ」というのなら、その「弱さ」さえも私は私を愛してあげなきゃいけないのだと感じました。
その「弱さ」と向き合って、生きていきたいと願ったその気持ちこそが、もう「強さ」に変わってるのではないでしょうか。

Uruさんは自身の楽曲『鈍色の日』でこんな歌詞を綴っています。

確かなものを求めては傷つき破れながら
それでもまた立ち上がる 例えどんなに醜くても
生きていく力の強さを心に願った時
弱さを纏った自分も許すことができた気がした

「生きていく力の強さを心に願った時
 弱さを纏った自分も許すことができた気がした」


どんなに自分が弱く感じてしまったとしても、「強くなりたい」とそう願っていれば、いつかは弱さに纏われている自分も許して愛していくことができるのではないでしょうか。

私はそうありたいと信じています。


今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。



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