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「相手は自分を映す鏡」という言葉について考える夜

こんばんは。
今日も1日お疲れ様です。

今日は昔勤めていたパン屋さんの勉強会で教わった言葉について考える夜とします。
表題にも書いたように、「相手は自分を映す鏡」とは一体どういうことなのでしょうか。

その時に教わった意味は次のような内容でした。

自分が明るくしていると相手も明るく接してくれる。
自分が不機嫌でいれば相手も不機嫌な態度を取ってくる。
相手をポジティブな人だと感じたら自分もポジティブということ。
逆に相手をネガティブな人だと感じたら自分もネガティブだということ。

つまり相手の態度は自分の態度の延長線なのだと。

当時は接客業をしていたので、自分の態度次第でお客さんの態度や満足度も変わってくるということだったのだと思います。
その当時は「なるほどな。」ぐらいの捉え方しかしていなかった気がします。

あれから数年経ち、改めて考えてみると本当の意味は一体どういうことなんだろうと深く考えるようになりました。
決して簡単な内容ではない気がしています。


例えば、会社に行けばまず挨拶をしますよね。
その時にこちらはその人の顔を見て元気に「おはようございます!」と言ったとします。
しかし、相手側はこっちの顔も見ず、素っ気なく挨拶を返してきたとします。
そこでこちら側は「なぜ元気に挨拶してるのにこんな素っ気ないの?」と必ず感じてしまうはずです。
なぜなら自分自身の「元気に挨拶をする」という固定概念があり、それに反しているから「なぜ?」と思ってしまうのだと思います。
つまり、自分自身の固定概念を相手に擦り合わせてしまっているから起こる現象なのだと思います。
「私だって元気じゃない時もあるのに…」と心の内で思う時もありますよね。
そういう時に内なる自分の声に気付かされるわけです。

なので「相手は自分を映す鏡」は「相手を通して自分の内面を映し出してくれる鏡」という見方もできるのかなと思います。

一見、「相手は自分を映す鏡」という言葉はちょっと厳しくも感じる言葉だと思いますが、本来は自分自身を助けてくれるポジティブな言葉ではないのかなと思います。


ただその反面、他人に感じたマイナスな感情を自分の内なる声と照らし合わせて、「自分自身反省しなければならない、内面を変えなければいけない」と思う時もあるかと思います。
そういう時は「反省」ではなく「成長」と捉えてみると良いのではないのかなと思います。

相手を通して「まだ自分は成長ができる、変わることができる」と前向きに思えるようになると、少し心が楽になりませんか?
例えば「自分の中にマイナスな固定概念があるのではないのか?」という考えから、その固定概念に気づき「プラスの固定概念に変えてみよう」と思えたり、それが連鎖していくものだとしたら自然と自分の周りにいる人たちの固定概念もプラスな考えが増えていくものだと思っています。

ただの綺麗事だ、と思う方もいるかもしれません。

ですが、「かき氷は夏に食べるもの」と言う人もいれば「かき氷は年中食べるもの」と言う人がいるように、「相手は自分を映す鏡」の意味も人それぞれ捉え方が違っていいと思います。

ただ私は少しでもネガティブに感じそうな言葉があっても、ポジティブに捉えて考えるのも良いのではないかなと思います。

皆さんはどんな捉え方をしていますか?
もしこういう捉え方をしているという思いがあればコメントで教えていただけると嬉しいです。

少しわかりづらい内容になってしまいましたが、今日も最後まで読んでいただきありがとうございます!






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