古きを稽え、今に照らす
たまたま、おすすめに出てきた
さとう式リンパケアの先生が
良いこと仰っていました。YouTubeで。
(「※見たら人生変わるので覚悟してみてください」というタイトルの動画でした)
聞いたことそのまま
書き起こし状態になっちゃいますが
シェアさせてください。
◆
稽古についてを語っていたんです。
稽古と練習と訓練の違いについて。
勝ち負けの無い世界って
「稽古」なんだそうです。
茶道、華道、武道などには
勝ち負けがなくて
自分の在り方を稽古する、という…。
試合や発表会のためにやるのは練習とか訓練。
人と比べること、勝ち負けがあるものが試合。
そして、今この瞬間を楽しむためにやるのは
稽古、なんだとか。
ひとりであろうが、複数人であろうが
ただただ場を整える為のものである、
それが稽古なのだそうで。
なるほど…。
つまりは、場を整えることと
自分を整えることって
イコールなんだな、と思ったんですよね。
◆
欧米でいう「世界平和」とは
「愛と慈悲」の対比である
「罪と罰」だったり
「正義と悪」という対比、
それらの土台の上に成り立つものである
「世界平和」なのだとか。
日本は、自然と調和して
自分を整えることや
今、この瞬間を楽しむということで
世界平和を体現するというもの。
戦わない。ただただ自分を整える。
それって、つまりは内観的なことなのかな、と。
というか、自分を見つめていれば
自ずと整ってくるんだと思うんですよね。
整えよう整えよう、とする作為的行為は
実のところ自分のことを観じているのではなくて
自分の理想像の型に
自分を押し込めていることなんですよね。
そこから見えるもの、気づけるものも
もちろんあるとは思うのですが。
◆
「古きを稽(かんが)え、今に照らす」
調べたら、古事記の序文に
登場する言葉のようです。
古くから伝わる、先人の教えや
過去に起きた出来事を
いま現在の事象に照らし合わせて
教訓として活かす、ということなのだそうで。
教えをなぞって、型のとおりに
行うこととは
まったくちがうことを
説いているように感じます。
先人の残した知恵、やり方、そのものを
きっちりそのまま行おうとすること、
それも素晴らしいこと、美しいことだとは
思うんですが
先人の知恵や
やり方が生まれるに至った背景や、
先人達の生き様。在り方。
そこなんじゃないか、って。
いくらやり方が先人達の
知恵のとおりだったり
そっくりだったとしても
生き様が、それに伴わないものであれば
その行いは空虚というか
本当に自分の内側から
湧き出てきた行いではない。
ということは
自分の身(実)になっていない、
単なるテクニック的なものになっちゃう。
器だけは立派で、中身はスカスカ、というか。
◆
先人達が残したかったもの
残されたわたしたちに
受け取ってほしかったものって
いま、この瞬間を
どのように生きるかということ
先人達はどのように生きたかということを
次に繋ぎたかった、
渡したかったんじゃないかなって。
いま、どのように生きるか。
何を大切にして、何を想い、何を行うか。
それを問うことが稽古なのかな、と思いました。
決して答えを求めることではなくて。