掌編小説|『噛みつき魔(起の巻)』
作:元樹伸
昔馴染みのカザミには、興奮するとすぐに噛みつく癖がある。
この悪癖はどんなに注意をしても直らないらしく、俺は今でも彼女と喧嘩をして噛みつかれることがあった。
俺たちはこれまで同じ小中学校に通い、同じ高校を受験して合格した。
白磁のような肌を持つカザミは清楚にして可憐、さらに優秀でハイソな存在であり、女子にとっては憧れの対象、男子にとっては高嶺の花であった。
ところが俺は美男でもないし運動音痴の引きこもりで、学校の成績も中途半端と質素を絵に描いたような生徒だ。周りからすれば、そんな自分とカザミがいつも一緒にいることが摩訶不思議らしく、友人には「幼馴染というより美女と野獣。いや、女神とゾンビか?」と揶揄されていた。
あるとき、休み時間の教室で俺とカザミが些細なことで喧嘩になった。
彼女が俺のリーゼントの髪型をダサいと弄ったので、「そんなこと言う奴とは、ようやってられんわ」と漫才師口調でツッコんだ。まわりで見ていた連中は笑ったが、途端に彼女が「付き合いきれないって、それ本気で言ってる!?」と怒って言い争いになり、カザミは人前にも関わらず俺の腕に噛みついたのである。
クラスの連中はそんな彼女を見て呆然とし、我に返った誰かが「女神様がご乱心だ!」と叫んだ。カザミは俺からすぐに口を離したけど、噛みついていた腕には見事なまでの歯形がくっきりと残されていた。
「あんな子に噛まれるなんてご褒美だな」
下校中、友人が俺の腕の傷を見てからかった。
「バカ言え。顎の筋肉は強靭で、相手が”婦”女子でもガブリとされれば痛いんだぞ」
「なんで彼女が”腐”女子なんだ? まぁとにかく、クラスの男子は全員そう思ってお前を妬んでいるよ」
でもな、それは勘違いなんだ。
家に着いて部屋に閉じこもると、カーテンを閉めきってテレビゲームを始めた。やがて外が暗くなってきたので、メールでカザミと約束をしてから家を出た。
「あーあ、高校生になったらあの癖は封印しようと思ってたのに」
インターネットカフェの個室に入るなり、カザミがスマホを弄りながら面倒くさそうにぼやいた。俺たちはこうして月に一回は外で落ち合い、二人だけの時間を過ごすという密会を繰り返していた。
「しかし誰であろうと、のっぴきならない気質ってのは持っているものさ」
「まぁ、あなただってそうだしね」
「いや、吾輩の場合そういうのではなくてだな……」
「まぁいいけど……それより早くしよ」
カザミは人の話をさえぎって手慣れた感じでシャツを脱ぎ出すと、下着だけを残して透き通るほど美しい上半身を俺の前に晒した。
「じゃあどうぞ」
それから座っている俺に跨り、ゆっくりと腰を下ろして華奢な身体をこちらに預けてきた。俺はそんな彼女の髪の匂いを嗅ぎながら生唾を飲み込むと、顎が外れるほど口を開けてその首筋に鋭い牙を突き立てた。
この時代、闇に隠れて生きてきた吸血鬼一族は科学の力で太陽の光を克服し、人間とほぼ同じ生活を送ることが可能になった。しかし淑女の血を欲する体質は昔と変わらず、誰かから分けてもらう必要があった。
今より十年前、カザミは俺と血の契約を結び、究極のアンチエイジングを手に入れた。つまり彼女は定期的にこの儀式を行う限り、自らが望まない老化を止めて永遠の美貌を保ち続けることができるようになったのである。
「ふぅ……馳走であった」
俺はカザミの首から口を離して悦に浸った。それから彼女の肌に付着した血液をティッシュで拭き取り、そのまま寝転がって狭い個室の低い天井を眺めた。彼女も血を吸われた直後でだるいのか、血が付かないように脱いだシャツを着てから俺の隣で横になった。
「私の噛み癖って、あなたにこうされているのが原因じゃないかしら」
「関係ないだろ。契約する前から気に入らないことがあると吾輩に噛みついていたじゃないか」
「だから自分を吾輩って言うのやめなよ。そのうち学校でも出ちゃうよ」
「す、すまない……」
俺は昔から彼女のことを愛していた。だから契約を結ぶときも、この関係は向こうが望む限り永遠に続けるという約束を交わしていた。
「なぁやっぱり俺たち……」と言いかけたとき、カザミが言葉を遮った。
「何度聞かれても答えは同じ。恋人として付き合うのは絶対に嫌よ。だってあなた全然かっこよくないし、言葉使いも古臭くてダサいんだもん」
「人より長く生きてるんだ。仕方がないじゃないか」
こんなとき漫画や銀幕だと、二人はいろいろあった末に結ばれるのだろうけど、不老不死の吸血鬼だからといって現実はそんなに甘くない。自分の意志で若返ることはできても、この容姿を彼女好みする術は持ち合わせていない。もちろん人の心を操れるような特殊能力もなかった。
さらに吸血鬼一族が定める血の契約は絶対だ。当時の俺はカザミの美しさに溺れ、彼女が望む通りの契約を結んでしまった。つまり向こうが契約を破棄しない限り、俺はカザミから逃れることができないのだ。
けれど彼女はいずれ他の男を愛して結婚するかもしれない。いや、きっとするだろう。それでもカザミが永遠の美を求め続けたら、俺はどんな顔をして彼女の血を吸い続ければいいのか。
不死身と言う名の呪縛。暗雲に満ちた永遠の未来を思い浮かべると悲しくなった。俺は今日も彼女に振られてトボトボと家に帰ると、棺桶の枕を濡らしながらひとり寂しく眠りにつく。
どうかカザミが、付き合っている他校の彼氏と今すぐ別れますように、と十字架を握って神様に祈りながら。
おわり
最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました。