掌編小説|『夜を駆ける』
作:元樹伸
霞の中を流離うような浅い眠りのせいか、真夜中になって目が覚めた。
スマホで時間を見ると午前一時過ぎ。どうやら床の上で眠っていたらしい。部屋の電気も点いたままだ。
ああ、そうか……思い出した。
昨日はこれまで気になっていた彼女に振られて帰宅した後、冷蔵庫の酒をがぶ飲みしたんだっけ。
それから未練たらたら、彼女が写っているスマホの写真やメッセージを眺め、想い出にも足らないような記憶の欠片に浸っているうちに、いつの間にか意識を失ったらしい。
あれから眠りつづけて五時間も経っているはずなのに、胸がムカついて頭がズキズキと痛んだ。当然ながら気分もすこぶる悪い。強くないのに500mlのストロング缶を三本も空けてしまったせいだろう。
無論、不快感の理由はそれだけじゃないけど、今はすべてお酒のせいにしたかった。
それにしても鉛のように身体が重い。這いつくばったままなんとか移動して、狭くて硬いベッドに寝転がった。
目を瞑って鼻から息を吸い、口からゆっくりと吐き出す。
「はぁ……」
酒臭い息と一緒に、虚しいため息が零れた。
僕の初恋って、こんなにあっけなく幕を閉じる運命だったのか……。
彼女とは同じ大学の授業で出会い、すぐに仲良くなった。それからはいつでも仲間たちと一緒に行動するようになり、二人きりで遊ぶ機会も増えていった。
だから僕は良い気になって、肝心な事実に目を背けていたのだ。ずっと好きだった彼女のあの笑顔は、この僕ではなく、その隣にいた友人に向けられていたのだということを。
昨日、正式に交際を申し込もうとして彼女をデートに誘った。これまでは学校で合流して、そのまま遊びに行く流れだったけど、今回は休日に二人きりで会う約束した。
彼女はすんなりOKしてくれたけど、実際に会ってみると、どこかよそよそしかった。それにいつもならすぐ隣を一緒に歩くのに、今日はどんなに歩調を合わせようとしても、彼女は僕の斜め後ろをキープし続けた。
映画を観て喫茶店に入ってからも、話は一向に盛り上がらなかった。僕はすでにこのとき、このまま告白をしても上手くいくことはないだろうと、何となく気づいていたのかもしれない。
「僕たち、付き合わないか?」
別れ際、息が詰まりそうになりながらも、これまで秘めていた想いを伝えた。しかし彼女はすぐに「ごめんね」と謝って、寂し気な笑顔を浮かべた。
でも僕は取り乱すこともなく「うん、わかった……」と呟いてから、冷めた漆黒のコーヒーに口をつけた。
遠くで電車の走る音が聞こえた。終電の時間はとっくに過ぎている。きっと貨物列車だろう。
回想しているうちにすっかり目が冴えてしまった。これ以上ベッドにいても眠れそうになかった。
「よし、走るか……」
僕は帰ってきたときと同じ服のまま、着替えもしないでアパートを出た。
桜が咲くこの時期は、真夜中でも寒くない。鉄橋が見える土手までは1キロくらい。街並みを眺めながらゆっくり往復すれば、酔いを醒ますにはちょうどいい距離だろう。
こんなときは、走って嫌なことを忘れるのが一番だと思った。片方の耳にイヤホンを装着するといつもの前奏が聞こえてきて、スピッツの『夜を駆ける』が脳の隙間を満たし始めた。
夜空を見上げて、僕はゆっくりと駆け出した。澄んだ夜の空気を浴びながら、必ず明ける次の朝へと向かって。
おわり
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。