"嫌い"という感情について
ジャニーズ界隈に足を踏み入れ、その華やかな世界に魅了され夢見心地だったのも束の間、次々と湧き出てくる熱愛、不祥事、グループ格差…。文化の違いを目の当たりにし、批判と悪口についてを真剣に考える2022年夏____。
私はある体験を境に、批判を書き込むことは悪だと思っていた。
中学の時、大好きなバンドのボーカルが芸能人と不倫をした。文春にすっぱ抜かれたのは紅白出演直後の年明けで、一番勢いのある時期だった。好感度の高い美人タレントが相手だったこともあり、かなりの大事になった。それから彼のSNSのコメント欄は地獄と化した。ファンとアンチのバトルが始まり、悪意のあるコラ画像が送られ、目も当てられないほどの誹謗中傷が画面を埋めつくした。彼の行為を擁護するつもりは全くないが、大好きな人がこんなにも悪く言われているのに耐えられず、強烈体験として脳に刻まれた。それから批判や否定はすべて悪として捉えるようになった。
わざわざ目に見えるところに否定の意見を書く意味が分からない。それについて全て知っている訳でもないのに。
最近ジャニーズを推している中で、問題発言や熱愛報道で炎上している光景をよく見る。炎上なんてただの騒ぎすぎだと思っていた。しかし、色々なコメントに目を通していくうちに何かが変化し始めた。
私の目に留まったのは、ファンとしてちゃんとグループの事を想って書かれた冷静なお叱りのツイートだった。
そこでふと思った。否定的な事ばかり言うのも違うけど、全てを肯定するのも違うのではないか。色々なことに良さを見出すのは素敵なことだけど、イエスマンになっていいのか?
当たり前だが、好きな人もいれば嫌いな人もいる。好きと発信するのが良いならば、嫌いもその人の感想だから発信するのは自由だ。私は妙に真剣になってしまい、誹謗中傷と批判の違いを調べた。
誹謗中傷=相手の人格や容姿を否定するもの。
批判=相手を良い方向へ導こうとする意見。
例文を作るならこうだ。
誹謗中傷は「不倫するなんてクズだ。〇ね」
批判は「不倫はよくない。しっかり反省してほしい。」
思い返してみれば、例のバンドマンの時は誹謗中傷が7割だった気がする。人の容姿をボロクソに叩いている言葉は見るだけで気が病む。
否定の意見に対して、こちらも敏感になり過ぎている。自分に直接言われた訳では無いのに、フォロワー0の捨て垢がつぶやくマイナスな意見を拾って無意識に自分を苦しめる材料にしている。
それに対する想いや背景は一人一人違うし、色んな意見が飛び交うのは当たり前。
だけど、それをわざわざ質問箱で煽ったり、スクショ貼って吊し上げたり、陰湿な攻撃をし合っているのは幼稚すぎて見てられない。
私は2つの結論に辿り着いた。
1つ目は誹謗中傷は絶対にダメだということ。批判はあくまでも相手を良い方向に導くための意見だが、誹謗中傷は裁判沙汰になりかねない。リプライやDMで直接送るなんて一番タチが悪い。
2つ目は色んな人がいるんだよねってこと。人間が100人いれば100通りの考えがあって当然。こんなシンプルなことを忘れかけていた。
ちなみに、例のバンドマンの正体は川谷絵音さんなのだが、彼は容姿をディスられてからめちゃくちゃ美容に気を遣うようになり、毎日マッサージをした結果、お顔がとってもすっきりしました。そういうバケモンみたいな人もいるということ。(だからといってディスっていいわけでない)
嫌いという感情も、その人の人格を形成する大事な要素の1つ。
でも、取扱注意。
以上、ネットリテラシーの夏季講座でした。